神宮寺小太郎の墓
神宮寺小太郎は当地の豪族で、神宮寺城を構え恩智左近満一とともに楠木正成に属し、その八臣の一人である。 正成湊川で戦死後はその子正行に従い四條畷に出陣して討死し、そのとき北朝方により神宮寺城も落ちた。 塚はもと古墳で明治末年に所有者により発掘され破壊されたという。【出典:『史跡の道・説明石板』(八尾郷土文化推進協議会・八尾菊花ライオンズクラブ・八尾市教育委員会、1980年)】
*石板の説明には一部現状と異なる場合があります。
神宮寺小太郎の墓 入口
石板
道標
指定文化財 | 未指定 |
---|---|
時代 | 南北朝 |
施設情報 | ①レンタルサイクル:近鉄「恩智」駅にあり |
見どころ | 道中:近鉄恩智駅から東高野街道へ、沿道はまだまだ田畑が多くみられ、東方には信貴高安山が望まれる。神宮小太郎塚から北東へ、途中 恩智神社・恩智城跡の道標方向に坂を上がると道沿いに融通念仏宗「慈光山 観音寺」がある。(恩智城跡方面からは、神宮寺小太郎塚の道標を目指す) |
---|---|
備考 | ①最寄りの史跡など:来迎寺墓地(神宮寺墓地)、八王子神社 等 |
小学校区 | 南高安小学校区 |