重成・左馬介の墓
大坂夏の陣で戦死した重成の墓は、もとはここから東五〇メートルの地点にあったが、 昭和四二年第二寝屋川の開削工事により、その川筋にあったのでここに移された。 この墓は、宝暦一四年(一七六四)重成の一五〇回忌にあたって、重成の首を落とした安藤長三郎の子孫で、彦根藩士安藤次輝が建てたもので,昭和一四年大阪府の史跡として指定されている。【出典『史跡の道・説明石板』八尾郷土文化推進協議会・八尾菊花ライオンズクラブ・八尾市・八尾教育委員会、1983年】
*石板の説明には一部現状と異なる場合があります。
山口重信の墓
指定文化財 | 府指定文化財 |
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時代 | 江戸 |
施設情報 | ①レンタルサイクル:近鉄「八尾」駅にあり ②トイレ:あり |
見どころ | ①広い公園内には桜が多い。藤棚とベンチがある。 ②高安山、生駒山系が一望できる。 ③八尾市立埋蔵文化財調査センター」が西に50mほどの所にある。 |
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備考 | 当初重成と並んでいたという山口重信の墓が今は恩智川を挟んで 向かい側の若江南墓地内にある。重成の霊を祭る「木村祭」が毎年命日の六月五日に墓前で開催される(消防団主催)。彦根市からの参加も欠かさずある。墓地内は常に参詣人の手により隅々まで清掃され花が手向けられている。墓左側面に判読不明の石板があり、また右側には今東光書の石碑がある。 |
小学校区 | 桂小学校区 |