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愛宕塚古墳

あたごづかこふん
愛宕塚古墳

古墳時代後期の横穴式石室墳である。封土は墳頂部を除いてよく保たれており墳丘は径約二五メートル、高さ六、五メートルで、円墳の形状をよくとどめている。巨石を積み上げた横穴式石室は奥行一六、七六メートル、玄室の高さ四、一メートルを測り、高安古墳群中最大規模の後期古墳である。石室は古くから開口していたが、昭和四二年学術調査が行われた。遺物では凝灰岩製の家形石棺片、鉄製利器、金張鉄製品、土器のほか玉類、鉄地金銅張馬具など優れた副葬品が多量に残存していて被葬者の地位、性格を物語っている。【出典:『史跡の道・説明石板』(八尾郷土文化推進協議会・八尾菊花ライオンズクラブ・八尾市教育委員会、1984年)】

*石板の説明には一部現状と異なる場合があります。

正門

じんぐうじ
神宮寺(服部川)

神宮寺は貞享年間(1684~1688年)に創建された臨済宗妙心寺派の禅寺である。境内は四季折々に色づく花々、大樹に包まれている。「自然のまま」との住職の思いを映した境内墓地は、河内西國巡礼の巡拝の人々や、春秋の彼岸には檀信徒が法要に集まり、にぎわいをみせる。境内墓地の入口近くに「西向き地蔵」と呼ばれる「線彫り地蔵」がある。山門西側には樹齢500年に及ぶ楠の大木が社を守り、地域鎮守を担ってる。【出典:『神宮寺について』を参考】

大窪・山畑7号 抜塚

たかやすこふんぐん おおくぼ・やまたけ
高安古墳群 大窪・山畑7号,8号墳

①大窪・山畑7号墳(抜塚):浄土宗来迎寺の墓地内の南側、現在地から右手に見える横穴式石室墳(ゆこあなしきせきしつ)です。トンネルのように、通りぬけることができることから、抜塚ともよばれています。現在、残っている部分は、羨道(せんどう)といわれる石室の通路部分です。羨道の長さは8m、高さは2.2mあります。本来はこの部分の北側、本堂寄りに、玄室といわれる棺(ひつぎ)を納めた部屋がありました。玄室は、長さ5~6m、幅3m前後と推定され、石室の本来の長さは、13~14m前後になると想定でき、高安古墳群中で最大級の石室の1つであったと考えられます。石室には、巨大な石材が使用されており、奈良県明日香村の石舞台古墳(いしぶたいこふん)と同じ時期、7世紀前半頃に造られた古墳と考えられます。
②大窪・山畑8号墳:墓地内の上手、来迎寺本堂寄りにある横穴式石室墳で、墳丘(ふんきゅう)はわかりにくくなっていますが、墓地に囲まれて石室が残っています。石室の全長は6.8m、玄室は、長さ4.4m、幅1.7m、高さ2.2mの石室です。小さめの石材を使用し、玄室の平面形状が縦長の長方形をしています。これらは、古いタイプの石室を示すもので、高安古墳群の墓造りが開始されてまもない頃、6世紀中頃に造られた古墳です。③大窪・山畑7・8号墳は、「高安千塚」(たかやすせんづか)ともいわれる高安古墳群の集中地域のなかでも、北側の大窪・山畑南支群内の古墳です。来迎寺墓地内に残されたこれらの古墳は、「高安千塚」を造った人々の力の大きさや、墓造りが開始された頃の石室のありかたを知ることのできる貴重なものです。【出典:『史跡の道・ステンレス製説明板』(八尾市教育委員会、2008年)】

*説明には一部現状と異なる場合がありま

楽音寺墓地

がくおんじぼち いたひ
楽音寺墓地 板碑

板碑:花崗岩製。総高94㎝、幅40㎝程の船形をした石の表面に、大きい宝篋印塔形を薄肉彫している。基礎部の堅枠に、元亀元年9月19日、阿闍梨実盛の陰刻がある。西暦1570年の造立である。【出典:『八尾の史跡』(棚橋利光・八尾市市長公室 市政情報課・八尾市郷土文化研究会、1999年)】

立石越・おと越道標

たていしごえ・おとごえどうひょう
立石越・おと越道標

八尾・山本からきた道は、中高安小学校のところで、二本の山越え道となる。服部川の上を越えるのが立石越道、大窪の上を越えるのがおと越道である。小学校正門前の道標は、天保11年9月に服部川村の観音講同行の人々が、西国三十三カ所参りを祈願して建てたもので、「右、信貴山立石」、「左、おうとごえ」となっている。おと越はおうと越ともいわれている。おと、おうと、おうとうを地名とすると、平群郡信貴畑の大戸山が関係しよう。おと越道標は、この近くではここから北東に道をとり、新道から大窪へ入るところに1本、大窪から神立へ行く道からおと越道への岐れ道に一本がある。初めが文化3年のもの、次が「左、おうとごえ」、次が天保15年3月のもので、「右、おうとごえ道、ほうりゅうじ」、「左、八尾平野道」とある。【出典:『八尾の史跡』(棚橋利光・八尾市市長公室 市政情報課・八尾市郷土文化研究会、1999年)】

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