石碑
恩智城は中世この地の豪族恩智左近満一が築いた。自然の高地を利用した城郭で高安連峰との間に堀をめくらせ前方に大阪平野を一望のもとにおさめた。 堀の中にかつては小島があったがそれはむかしの一の丸で現在の城址は二の丸の址という。 正平三年(一三四八)四條畷の戦いで楠木正行が戦死し恩智城も落ちた。 学制領布のときここに小学校が新築され、今では桜の名所として知られている。【出典:『史跡の道・説明石板』(八尾郷土文化推進協議会・八尾菊花ライオンズクラブ・八尾教育委員会、1980年)】
*恩智左近の出身地などについてはいくつかの説があります。
*石板の説明には一部現状と異なる場合があります。
旧恩智小学校 校門
旧恩智小学校 手洗石
恩智城址 付近
指定文化財 | 未指定 |
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時代 | 南北朝 |
施設情報 | ①レンタルサイクル:近鉄「恩智」駅にあり ②トイレ:併設の公園西南隅に公衆トイレあり |
見どころ | ①近鉄「恩智」駅南より東へ約8分上がった恩智街道と東高野街道の交差点、南へすぐ東沿いシュミイ地蔵横の急坂を2・3分上がった所にある ②春は桜の名所。東方に高安山が迫り、西側一帯には恩智界隈が見渡せる ③恩智街道・東高野街道及び脇道に標識あり |
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備考 | ①最寄りの史跡など:恩智左近の墓、目ナシ地蔵、シュミイ地蔵 等 ②さくら公園とも呼ばれ、毎年桜の時期に桜祭りが開催される ③恩智城址の東側、高安山のふもとに万葉集に詠まれた草花や樹木を集めた第1万葉植物公園がある(昭和59年八尾市建設) |
小学校区 | 南高安小学校区 |