古墳跡
標高一七メートル、俗に松山とか腹痛山という 墳丘の上部には粘土郭が残り、また火葬跡が二ヵ所発見され、石櫃の蓋の破片も出土している。 古噴時代の中期末の環濠式前方後円墳で、数年前に採土され、その跡に小神祠をまつる。入口のところに宝山神社の碑がある。 昭和三十四年四月大阪府から史跡として指定された。【出典:『史跡の道・説明石板』(八尾郷土文化推進協議会・八尾菊花ライオンズクラブ・八尾市教育委員会、1981年)】
*石板の説明には一部現状と異なる場合があります。
①墳丘の上部には粘土槨が残り、また火葬跡が2カ所発見され、石櫃の蓋の破片が出土している。これもこの古墳の跡に、後にここで火葬が行われて、相ついで葬られたものである。【出典:『八尾の史跡』(棚橋利光・八尾市市長公室 市政情報課・八尾市郷土文化研究会、1999年)より抜粋】
②周辺から出土した円筒埴輪や朝顔形埴輪、蓋埴輪から5世紀末頃の古墳と考えられる【出典:『八尾市文化財情報システム』を参考】
石柱
石板
鏡塚・宝山神社石碑
指定文化財 | 府指定文化財 |
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時代 | 古墳 |
関連する文化財など | 埴輪・楽音寺大竹古墳群 |
見どころ | ①現場:狭いが小高い古墳の上部から、信貴高安山・裾野の田畑が望める。南側に、古い小さなお社(宝山神社)がある。 ②道中:東高野街道(服部川近辺)から東側の眺望は、造園・高安山を含む生駒山地の山々がせまり素晴らしい。 標識:松の馬場、心合寺山古墳の入口にある。 |
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備考 | ①最寄りの史跡:松の馬場、心合寺山古墳、薬師石仏 等 ②古噴時代の中期末の環濠式前方後円墳。 ③近鉄「服部川」駅からの道中に「八尾市立歴史民俗資料館」がある |
小学校区 | 高安小学校・中学校区 |