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ほんままごしろうのはか
本間孫四郎の墓

歴史遺産

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本間孫四郎の墓
本間孫四郎の墓

孫四郎忠彦は、相模の人で新田義貞の家臣であった、弓の名人であったと伝えられ、足利尊氏が四海から大兵を携して東上するや、これを和田岬で拒けた。 後この地の住人となり、本間垣内の小字もあり、今に子孫の本間家がある。 この二伯の五輪塔は、孫四郎の墓と伝えられ、梵字一字があるが判読は不明、鎌倉時代に属する。【出典:『史跡の道・説明石板』(八尾郷土文化推進協議会・八尾菊花ライオンズクラブ・八尾市教育委員会、1975年)】

*石板の説明には一部現状と異なる場合があります。

道標
道標

石板
石板

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指定文化財未指定
時代鎌倉
関連する文化財など五輪塔
見どころ①現場:石版は畑の角地に有り、雑草に覆われお墓も見つけにくい。 
②道中:東に信貴高安山、沿道には木々・池・旧民家が多くみられ風情がある。
 標識:道中に有。道中、「八尾市立歴史民俗資料館」前に史跡コースマップがあるので、ルート確認すると便利。
備考①最寄りの史跡など:十三街道、神立茶屋辻、玉祖神社、伴林光平墓、都夫久美神社 等  
②新田義貞の家臣で弓の名人。  
③近鉄「服部川」駅からの道中に「八尾市立歴史民俗資料館」がある。
小学校区高安小学校・中学校区
所在地八尾市神立5丁目
交通ルート近鉄「服部川」駅から徒歩約25分
最寄駅近鉄「服部川」駅
電話番号
FAX番号
HPアドレス

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