石板付近
俗に京街道、高野道といい、伝えによると白河法皇が弘法大師三〇〇年遠忌に参拝のとき、河内石川の安助上人が開いたという。京都と高野山を結ぶ参拝路で、平安時代から鎌倉時代にかけては歴代天皇、諸公家たちが往来し、南北朝時代には京都と南朝方軍勢の出合い道であり、戦国時代には畠山一族、三好一族などの合戦の通路となった。この垣内一里塚は、その里程をはかるもので、数年前までは善根寺、四条、楽音寺にもあったが、いまはここだけである。【出典:『史跡の道・説明石板』(八尾郷土文化推進協議会・八尾菊花ライオンズクラブ・八尾市教育委員会、1983年)】
*石板の説明には一部現状と異なる場合があります。
垣内村一里塚:東高野街道(ひがしこうやかいどう)は京都と高野山を結んだ道で、河内では「京道(きょうみち)」とも呼ばれ、古来より南へ向かう重要な道筋でしたので、一里(約4km)ごとに一里塚が整備されていました。正保(しょうほう)元年(1644)の『河内国絵図(かわちのくにえず)』には、東高野街道に11ヶ所の一里塚が描かれていますが、現在八尾市の垣内の一里塚と富田林市の錦織(にしごおり)[府指定史跡]にだけ残っています。
【東塚】東塚は、高さ1mほどの塚状の地の上に松が1本植えられており、現在も地元では「一里松」と呼ばれています。
【西塚跡】本来一里塚は二基一対で、東塚と西塚跡周辺には「一里松」という小字名(こあざめい)が残っています。西塚跡には塚はなく、文化(ぶんか)七年(1810)の銘(めい)を持つ法華塔(ほっけとう)が建っています。[平成8年3月29日八尾市指定史跡]【出典:『八尾市文化財情報システム』より】
垣内村一里塚(西塚)
垣内村一里塚(東塚)
石板
指定文化財 | 未指定 |
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時代 | 平安 |
関連する文化財など | 垣内村一里塚(八尾市市指定史跡) |
施設情報 | レンタルサイクル:近鉄「高安」駅にあり |
見どころ | ①現場:垣内村一里塚と隣接し、一本松がある。 ②道中:東高野街道、脇道に垣内一里塚の標識有。 |
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備考 | ①最寄りの史跡など:大通寺、教興寺、善光寺、垣内共同墓地 等 ②京都から高野山への参詣道として用いられた街道。 |
小学校区 | 南高安小学校区 |
所在地 | 八尾市垣内3丁目 |
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交通ルート | 近鉄「信貴山口」駅から徒歩約12分/近鉄「高安」駅から徒歩約12分 大通寺より東高野街道へ出て、南へすぐの場所 |
最寄駅 | 近鉄「信貴山口」駅/近鉄「高安」駅 |
電話番号 | |
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