石板
弓削の地は道鏡の出身地である 道鏡は「俗姓は弓削連河内人也」と続紀に記され、若くして葛城山に登り、如意輪法、宿曜秘法を修め、看病禅師として名声を博し、孝謙天皇の病をなおし、信任をえて、ついには法王(皇)となった。 しかし称徳天皇の死去とともに失脚、下野国薬師寺の別当におとされ、宝亀三年(七七二)に歿した。称徳天皇がこの地に行宮を造られるにあたり、信任の厚い道鏡は弓削宮(由義宮)の造営の許しを得た。【出典:『史跡の道・説明石板』(八尾郷土文化推進協議会・八尾菊花ライオンズクラブ・八尾市教育委員会、1983年)】
*石板の説明には一部現状と異なる場合があります。
弓削神社
弓削道鏡といえば、孝謙(称徳)女帝の寵愛をよいことに僧侶の身でありながら位人臣を極め、挙句には皇位さえうかがった稀代の悪僧というイメージが一般的です。しかし、近年こうした悪評を疑問視する声も多くなっています。道鏡を失脚させたのは藤原氏であり、道鏡大悪僧説の出所である「続日本紀」は、藤原色の濃い史書であるからです。そこに明治以降の皇国史観が加わり、“極悪人道鏡”というイメージが定着し、ほとんど修正されないまま今日にいたったというのです。難解な仏典やサンスクリット語に精通した第一級の知識人であったという道鏡、その彼を“道鏡さん”と親しげに呼ぶ人が、八尾では着実に増えているようです 【出典:『八尾市立図書館 HOME PAGE』を参考】
指定文化財 | 未指定 |
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時代 | 奈良 |
関連する文化財など | 弓削神社 |
施設情報 | ①レンタルサイクル:JR「志紀」駅あり ②トイレ:あり |
備考 | 弓削神社境内に石板がある。 |
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小学校区 | 志紀小学校区 |
所在地 | 八尾市弓削町1丁目36(弓削神社境内) |
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交通ルート | JR「志紀」駅から徒歩約2分 (JR「志紀」駅西口ロータリーの西南へ、徒歩約2分(池田泉南銀行裏)にある弓削神社境内に石板がある。) |
最寄駅 | JR「志紀」駅 |
電話番号 | 072-949-1623 |
FAX番号 | |
HPアドレス |