現場
この地は旧大和川が、いまの玉串川と長瀬川に分水するところである。宝永元年(一七〇四)十月今米村(旧河内市、現東大阪市)の中甚兵衛らによって四十数年にわたる請願が遂に幕府を動かし、いまの大和川へ川筋が付替えられた。その後、この地一帯の旧河川敷は東弓削、弓削の人々によって開墾されて、「二俣新田」と名付けられ地名となった。【出典:『史跡の道・説明石板』八尾郷土文化推進協議会・八尾菊花ライオンズクラブ・八尾市教育委員会、1984年)】
*石板の説明には一部現状と異なる場合があります。
現場
石板
流水百選石板
指定文化財 | 未指定 |
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時代 | 江戸 |
施設情報 | レンタルサイクル:JR「志紀」駅前にあり |
見どころ | ①現場:石板付近にはベンチが設置され、小さな憩いの場になっている。 ②道中:JR「志紀」駅東口を出た長瀬川沿いから二俣まで歩道が整備されている。 |
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備考 | ①旧大和川が、いまの玉串川と長瀬川に分水するところ。 ②最寄りの史跡など:弓削神社(東弓削)、弓削神社(弓削町) 等 |
小学校区 | 曙川東小学校区 |