南側 熊野神社より
古墳時代前期の南面する前方後円墳である。もと楽音寺の村落がこの地の東の山麓にあった当時に古墳のある丘が「西ノ山」と呼ばれていたところから、そのまま古墳名として残っている。明治十四年(一八八一)開墾中に後円部から石棺が発見され、その中から人骨、勾玉、刀剣などが出土した。いま前方部は耕されて植木畑となっている。南の谷をへだてて、同じく前期の前方後円墳の花岡山古墳があった。【出典:『史跡の道・説明石板』(八尾郷土文化推進協議会・八尾菊花ライオンズクラブ・八尾市教育委員会、1984年)】
*石板の説明には一部現状と異なる場合があります。
花岡山古墳について:元和元年(1615)5月の大坂夏の陣には、徳川秀忠がここに陣をとって東軍を指揮した。江戸時代には前方部の所に福生院という寺院があった。現在は大阪経済法科大学となっている。【出典:『八尾の史跡』(棚橋利光・八尾市市長公室 市政情報課・八尾市郷土文化研究会、1999年)】
花岡山遺跡(大阪経済法科大学内)
石板
石板現場(熊野神社)
指定文化財 | 未指定 |
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時代 | 古墳 |
関連する文化財など | 花岡山(はなおかやま)古墳 |
見どころ | ①現場:隣接する熊野神社境内からは、西方一面に大阪平野が望める。 ②道中:近辺の小道沿いには、旧民家が並び風情がある。また、池も多く東方には高安山が迫ってくる。道中、「八尾市立歴史民俗資料館」前に史跡コースマップがあるので、ルート確認すると便利。 |
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備考 | ①最寄りの史跡など:楽音寺墓地、薬師石仏、向山古墳、氏神熊野神社 等 ②独立丘陵を利用した前方後円墳。 |
小学校区 | 高安小学校・中学校区 |