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ろっかじぞう
六カ地蔵

歴史遺産

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地蔵堂
地蔵堂

六ヶ地蔵尊の由来:現在地は八尾市刑部二丁目一番地です。この御堂のある土地は小字茶之前と呼ばれています。北側の道は信貴山へ通ずる昔の道です。東側は旧大和川(玉櫛川)の西提でその堤下にあたります。地蔵尊の石材は古墳時代に造られた石棺の蓋を利用しています。地蔵尊の造られた時代は不明です。棺蓋は突起のない中形の刳抜式の家型石棺に属します。増田一裕氏の研究によれば七世紀中頃(六二五~六五〇)に造られたものとされています。岩室は淡灰緑色の流紋岩質凝灰岩で播磨国(姫路市から三田市)に分布する流紋岩質溶結凝灰岩の一部に似ています。古墳時代の後期に豪族を葬るために造られた石棺が時が流れ古墳も壊れ人目につくようになったのでしょう。平安時代の末から各地に石仏信仰が始まります。この地は刑部千軒といわれた時代に村の端に建てられたと思います。刑部千軒の遺物を示すものとしては昭和十七年に干害用井戸掘り工事の時地蔵尊の東 旧大和川から飲料水を取入れたと考えられる竹管が発見されています。昔から茶之前の地蔵さんと愛称され子供の霊を守り病気を救い村内に疫病の侵入を防ぎ道行く人々の安全をお守り下さるということでお詣りも大変多くありました。【出典:『説明石板』(八尾市市史編纂室室長 三上幸寿、大阪府立八尾高等学校教諭 棚橋利光、橿原考古学研究所所員 奥田尚、1980年)】

六ヶ地蔵:八尾から庄之内を通って信貴山へ向かう道は、刑部の北で玉串川に達する。この玉串川西堤下に当たる刑部2丁目1番地、小字茶屋之前にこの地蔵尊がある。凝灰石の石棺の蓋を利用して作った石棺仏である。かなり風化していて、顔形も分らず、時代も不明。六カについては八尾に関する古地名の六カ辻郷、小字六カ辻口などとの関係が考えられる。【出典:『八尾の史跡』(棚橋利光・八尾市市長公室 市政情報課・八尾市郷土文化研究会、1999年)】

六カ地蔵尊
六カ地蔵尊

入口付近
入口付近

石板
石板

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指定文化財未指定
時代不明
施設情報レンタルサイクル:近鉄「高安」駅にあり
見どころ①現場:六ヶ地蔵の傍に、他の石仏や藤棚等が配置され、町内の憩いの場になっている(閑静な住宅街の一角)。 
②道中:道中の玉串川沿道の桜並木は、春に花見客で賑わう。道中の玉串川は、鯉が遊泳し、たまに白鷺・カルガモ・高安山からの野鳥が見られる。
小学校区刑部小学校区
所在地八尾市刑部2丁目1
交通ルート近鉄「高安」駅から徒歩約6分(近鉄「高安」駅西方の玉串川を南へ、公園を過ぎ、数分徒歩後、玉串川分水を西へ入った角地)
最寄駅近鉄「高安」駅
電話番号
FAX番号
HPアドレス

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