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はっとりがわはちまんぐう
服部川八幡宮

歴史遺産

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社殿
社殿

御祭神:誉田別令(応神天皇)  菅原道真公
由緒:江戸時代以来、服部川村の氏神として八幡宮、八幡社といわれて崇拝された。淀藩領高安郡寺社帳によると、当社は正八幡宮とあり、相殿に天神社を祭る。境内に無本寺の西光寺(西迎寺)があった。拝殿前の狛犬には、「巳亥天保十年十一月吉日」の銘があり、この年に奉納されている。明治七年三月二八日、高安郡神立村の玉祖神社に合祀された。その後、明治二十五年三月三十一日、旧社地に社殿を造って、四月三十一日夜、正遷宮を行い、祭った。しかし形式的には玉祖神社に合祀された状態であったが、太平洋戦争後まもなく分離独立し、現在地に遷座した。境内のくすのき、むくのき、あきにれは、八尾市の保全樹木に指定されている。【出典:説明石板』(稲田正春・飯田信一・飯田光治・川村喜代次・乾秀夫・宮崎利彦、1998年)】

地蔵堂
地蔵堂

①現在服部川会館に移置されている力石4個は、以前この境内にあったものである。【出典:『八尾の史跡』(棚橋利光・八尾市市長公室 市政情報課・八尾市郷土文化研究会、1999年)より抜粋】

②高安八幡宮ともいい、祭神は誉田別命(応神天皇)、菅原道真といわれています。明治7年(1874)に玉祖(たまおや)神社に合祀されましたが、戦後に旧地に遷座しました。境内には、江戸時代の終わり、弘化3年(1846年)に、融通念仏宗の勧進で知られる「楽山(ぎょうざん)上人」が発願した地蔵石仏(高さ1.35m)があります。八尾市光南町にある八尾共同墓地にある楽山の墓とされる石仏とよく似ています。昭和49年に石仏を地蔵堂再建のために台座を動かしたところ、台座の下からお経の一字を記した530個の納石が見つかりました。奥の社殿の前にある狛犬は天保11年(1839)に造られたものです【出典:『八尾市文化財情報システム』より】

③服部川の地蔵堂:八幡宮境内に地蔵堂がある。この地蔵は江戸時代後期、八尾の清慶寺を復興した楽山上人建立の石造地蔵尊がある。総高135㎝、幅71.5㎝の舟形光背に像高111㎝の地蔵立像を陽刻している。銘文によると、弘化(1846)3年9月24日、楽山の建立で、もと服部川村西迎寺の什物であった。なお、昭和49年5月、地蔵堂再建の時、台座の下から納石が多数発見された。納石には法名、供養者名、経文などが記されていた。【出典:『八尾の史跡』(棚橋利光・八尾市市長公室 市政情報課・八尾市郷土文化研究会、1999年)より抜粋】 

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指定文化財未指定
時代江戸(伝)
関連する文化財など服部川の地蔵堂
見どころ①現場:高安山麓の民家に囲まれている。 
②道中:近鉄「服部川」駅から東にすぐ、まじかに高安山が迫る。
備考①祭神:誉田別命(応神天皇)、菅原道真(天神社)  
②八尾市指定保全樹木 第18号 くすのき・むくのき・あきにれ…など  
③最寄りの史跡など:佐麻多度神社、俊徳丸鏡塚 等 
④近鉄「服部川」駅からの道中に「八尾市立歴史民俗資料館」がある
小学校区高安小学校・中学校区
所在地八尾市服部川6丁目312
交通ルート近鉄「服部川」駅から徒歩約3分
最寄駅近鉄「服部川」駅
電話番号072-941-8166
FAX番号
HPアドレス

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