臨済宗南禅寺派金地院末で、地蔵盆で名高い常光寺(本町)とは兄弟寺である。応永元年(一三九四)管領畠山尾張守満家の願いで、叔父の南禅寺大業徳基禅師が開山した。 大坂夏の陣で伽藍が焼失したが金地院崇伝が再興、その後江戸時代に再び焼失した。戦国時代の古文書、徳川歴代将軍の朱印状があり、境内には細川晴元の執筆で河内国ほか七ヵ国を支配していた三好長慶の墓がある。古くは寺院の周辺に真観寺薮と称された薮と築地(土べい)があった。【出典:『史跡の道・説明石板』(八尾郷土文化推進協議会・八尾菊花ライオンズクラブ・八尾市教育委員会、1983年)】
*石板の説明には一部現状と異なる場合があります。
手水鉢
戦国期から織豊期の古文書や、徳川歴代将軍より寺領十九石八斗を安堵する朱印状などが残っており、真観寺文書として市指定文化財になっています。【出典:『八尾市文化財情報システム』より抜粋】
指定文化財 | 未指定 |
---|---|
時代 | 室町(伝) |
関連する文化財など | 真観寺文書・三好長慶墓・三好義継墓 |
見どころ | 境内には畠山満家の墓との言い伝えのある十三重石塔や三好長慶・三好義継の宝筐印塔がある |
---|---|
備考 | 常光寺の兄弟寺である |
小学校区 | 亀井小学校区 |