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あとべいせき
跡部遺跡

歴史遺産

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石板
石板

跡部、春日町一帯に所在する跡部遺跡は、日本書紀にみえる阿都(あと)という地名に通じることから、物部(もののべ)氏の本拠の一角であったと推定され、六世紀の遺構、遺物が検出されている。また、下層には弥生時代の集落跡があり、多数の土器や石器が出土し、平成元年には春日町一丁目の地下より流水紋銅鐸(りゅうすいもんどうたく)が一.四メートル四方の穴に埋納された状態で発見されている。平成五年に実施した竜華小学校体育館敷地及び周辺の発掘調査では、弥生時代の集落を幾重かに取り囲む溝が検出された。【出典:『史跡の道・説明石板』(松岡裕子書・八尾菊花ライオンズクラブ・八尾市教育委員会、1994年)】

*石板の説明には一部現状と異なる場合があります。

龍華小学校正面
龍華小学校正面

平成元年10月の公共下水道工事に伴う跡部(あとべ)遺跡の発掘調査で、弥生時代の流水紋銅鐸(りゅうすいもんどうたく)が埋められた当時のままの姿で出土しました。 発掘調査で出土した銅鐸は珍しく、現在、出土した地点には、石柱が建てられています。
 流水文銅鐸と、埋められていた埋納遺構とともに、市指定文化財となり、八尾市立歴史民俗資料館に保管されています。平成元年(1989)10月に八尾市春日町1丁目[跡部(あとべ)遺跡]で出土した銅鐸です。 扁平紐式(へんぺいちゅうしき)という形式で、鐸身(たくしん)の全体に流水紋の紋様があります。外縁には鋸歯紋帯(きょしもんたい)、連続渦(れんぞくうず)紋帯、斜線(しゃせん)紋帯が施され、菱環(りょうかん)には綾杉(あやすぎ)紋が施されています。紐外側には双頭渦(そうとううず)紋の飾耳(かざりみみ)が付けられています。流水紋は五条の突線で描かれています。発掘調査で発見された時には、粘土に包まれて空気に触れていなかったために、美しい赤銅色をしていました。一辺約1.4m、深さ0.5mの隅丸方形(すみまるほうけい)の埋納遺構に埋められていたことがわかり、銅鐸埋納の意味を解明する上でも貴重な考古資料です。[平成6年3月31日指定]【出典:『八尾市文化財情報システム』より】

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指定文化財未指定
時代弥生(伝)
関連する文化財など流水紋銅鐸(りゅうすいもんどうたく)(市指定文化財 )
施設情報レンタルサイクル:JR「八尾」駅にあり
備考見学の時は学校の承諾を得る必要があります。
小学校区龍華小学校区
所在地八尾市東太子1丁目6-12(竜華小学校内)
交通ルートJR「久宝寺」駅から徒歩約14分/近鉄バス「植松」から徒歩4分
最寄駅JR「久宝寺」駅/近鉄バス「植松」
電話番号072-991-3570
FAX番号
HPアドレス

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