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かぶらやづか
鏑矢塚

歴史遺産

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説明板
説明板

用明二年(587)に厩戸皇子(うまやどのおおじ)(聖徳太子)をはじめとする皇子達と蘇我馬子(そがのうまこ)らは、渋河の地で物部守屋(もののべのもりや)の軍勢と戦います。稲城(いなき)を築き、榎木の上から弓を放つ守屋に苦戦した皇子らは三度退却しますが、四天王に祈願すると、迹見赤檮(とみのいらい)の放った矢が守屋を討ち、皇子と馬子らは勝利したと『日本書紀』に記されています。大聖勝軍寺(たいせいしょうぐんじ)の周辺にはそうした史跡が残されており、鏑矢塚は、迹見赤檮が守屋を射た矢を埋めたと『大聖勝軍寺略縁起』(1455)は伝えています。鏑矢とは、先端が植物の「かぶら」のような形をしている矢のことです。『日本書紀』にはみられませんが、太子信仰や八尾の歴史を考えるうえで重要です。【出典:『ステンレス製説明板』(八尾市教育委員会、2010年)】

*説明には一部現状と異なる場合があります。

石柱
石柱

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指定文化財未指定
時代飛鳥
施設情報レンタルサイクル:JR「八尾」駅にあり
備考最寄りの史跡など:鏑矢塚より南西(学校裏)に約2分で弓代塚がある
小学校区龍華小学校区
所在地八尾市南太子堂3丁目
交通ルートJR「八尾」駅から徒歩約12分/近鉄バス「太子堂」すぐ
最寄駅JR「八尾」駅/近鉄バス「太子堂」
電話番号
FAX番号
HPアドレス

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