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ひらのがわすじのいせき
平野川筋の遺跡

歴史遺産

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全景
全景

「平野川近辺の遺跡」について:古代人にとって水は重要なものであったので、多くの集落が川沿いに形成された。平野川沿いにも縄文時代晩期(約2500年前)の生活痕跡が確認される。弥生時代(2300年前)になると亀井と田井中に人々が集住し、数条の溝で囲まれた環濠集落が出現するようになる。古墳時代初頭(約1850年前)になると中田を中心とする集落が誕生するが、これは大和へ通じる古大和川の水運を利用する港としての性格をもっていたとする説もある。この頃平野川沿いでは木の本に集落が形成され、中期(1600~1500年前)には出土遺物から渡来人との関係が指摘されている。また、亀井、東弓削や中田では地中に埋没した古墳がみつかっており、かつて八尾にも多くの古墳があったことがうかがわれる。奈良時代(約1250年前)には称徳(しょうとく)天皇と弓削道鏡(ゆげのどうきょう)が河内を訪れ、平城京に対する西の京として都市計画がなされたが、それは中田から東弓削周辺であったと考えられる。鎌倉時代以降、人々は村を作り耕作地を広げていくが、老原や太子堂でそうした遺構が良好に残っている。それは、近年まで残っていた農村の原風景といえるものであった。【出典:『ステンレス製説明石柱』】

ひろがりゾーン・老原エリア:老原地域をはじめ平野川筋には古代からの遺跡が数多く確認されています。老原遺跡は古墳時代から鎌倉時代の複合遺跡で、特に平安時代末期の生活の跡が多く見つかっています。また亀井遺跡では弥生時代の大規模な環濠(かんごう)集落跡が確認されました。本エリアでは平野川筋の遺跡をテーマに、流域の発掘調査の成果を紹介する歴史トレイルの拠点を設けました。

柏原船
柏原船



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指定文化財未指定
時代弥生
見どころ右岸に沿って北へ約300m下ると柏原船等の展示したミニ公園がある
備考平野川の改修工事完成時にこの付近の歴史的出来事をまとめ掲示された。他に「物部氏の繁栄」「河内木綿と柏原船」「聖徳太子の活躍」「奈良街道」「大和川のつけかえと講念仏踊(こうねんぶつおどり)」のステンレス製説明石柱があり各詳細説明が記載されている。
小学校区龍華小学校区
所在地八尾市北木の本5丁目
交通ルートJR「八尾」駅から徒歩約20分/近鉄バス「了意橋」すぐ
最寄駅JR「八尾」駅/近鉄バス「了意橋」
電話番号
FAX番号
HPアドレス

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