八尾浜
長瀬川はもと大和川の本流で古くはおよそ二〇〇メートルの川幅があり、人と物資の運搬で川舟が往復した。 宝永一年(一七〇四)大和川の付け替え後は井路川となり、八尾と久宝寺の人々の共同出資で剣先船が人や米、木材などを京橋まで運び、年貢米の運送や、大阪、淀などへの往復でにぎわった。 こちらの八尾側の方を八尾浜むこうの久宝寺側を船着場とよび、ともに祭礼のときのお旅所であった。【出典:『史跡の道・説明石板』(八尾市郷土文化推進協
議会・八尾菊花ライオンズクラブ・八尾市教育委員会、1983年)】
*石板の説明には一部現状と異なる場合があります。
久宝寺船着場
この橋の西ぎわに153cmの大きな道標が建つ。信貴山、柏原国分、大坂道、玉造同の表示があり、交通の要衝であったことを示している。【出典:『八尾の史跡』(棚橋利光・八尾市市長公室・八尾市郷土文化研究会、1998年)より抜粋】
指定文化財 | 未指定 |
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時代 | 江戸 |
関連する文化財など | 長瀬川・大和川付け替え |
施設情報 | レンタルサイクル:近鉄「久宝寺口」駅にあり |
見どころ | 長瀬川、橋際にある。 |
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備考 | ここには古く土橋が架かっていたので、土橋とも呼ばれる |
小学校区 | 八尾小学校区 |