石板
久宝寺城は室町幕府に仕えた渋川満貞の居城と云われる。満貞は畠山満基の長子で、渋川郡を領したことから渋川と称した。麟角堂を創建し又毎年七月十四・五日は城内で精霊祭を催し、領民は五日間盆踊りをしたと言う。満貞の嫡子の光重は播州安井郷を受領、安井と改姓し、定重の時に織田信長に仕えたが、天正五年、光佐顕如上人の本願寺兵に攻められ、城は陥落した。城址は寺内町西北の出隅に「城土居」の地名を残している。 「久寶寺村誌」より 【出典:『史跡の道・説明石板』(八尾市教育委員会、角谷彰彦 文、乾房子 書、1996年)】
*石板の説明には一部現状と異なる場合があります。
久宝寺城址碑
指定文化財 | 未指定 |
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時代 | 室町 |
施設情報 | レンタルサイクル:近鉄「久宝寺口」駅にあり |
見どころ | 細い道沿いで、工場の裏手。用水路沿いに植樹があり、その一角に存在する |
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備考 | かつて、字城土居(あざしろんど)ともよばれた |
小学校区 | 久宝寺小学校区 |