本殿
当地域は安康天皇の設けられた穴穂部の地、聖徳太子の生母間人穴太部皇后の成人の地といわれる。当社は古代氏族穴太氏の一族の祖紳を祭る産土神で、境内に残る寺跡はその氏寺であつたと考えられる。同寺は河内鑑名所記、和漢三才図会に名刹千眼寺として紹介されている。この社の付近一帯はそのむかし大集落の繁栄がうかがわれこれまで奈良時代から室町にかけて住居跡の埋没が確認され 昭和五六年の調査では多くの遺物が発掘されている.【出典『史跡の道・説明石板』八尾市・八尾郷土文化推進協議会・八尾市教育委員会、1982年】
*石板の説明には一部現状と異なる場合があります。
穴太の仮滑走路(大正)
指定文化財 | 未指定 |
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時代 | 奈良(伝) |
関連する文化財など | 八尾市指定保全樹木 2号 くすのき |
施設情報 | レンタルサイクル:近鉄「久宝寺口」駅にあり |
備考 | ①八尾市指定保全樹木 2号 くすのき ②最寄りの史跡史など:近隣に碑あり(碑銘「穴太の仮滑走路(大正飛行場の予備滑走路)跡」 所在地―神社より約100m南西 |
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小学校区 | 美園小学校区 |