説明板
この石橋は福栄橋とよばれ、大坂の玉造から若江、福万寺をへて大和の竜田を結ぶ十三街道の恩智川を渡るために架かっていました。かって、この橋があった西側には寛政12年(1800)に福万寺の人々が建てた橋の供養碑が残されています。 碑には、大雨による洪水で橋が流失したので、新しく再建したことが記されています。 橋に感謝して建てられた供養碑としては市内で唯一のものです。 ここに保存されている石橋は、明治9年4月(1876)に造られたものですが、昭和48年(1973)の恩智川改修工事の際に橋が付け替えられ、橋脚部分を除いた板石と高欄部分が残されています。 【出典:『ステンレス製説明板』(八尾市教育委員会 2008年)】
*説明には一部現状と異なる場合がありま
復元橋
旧大和川の支流ゆえに何度となく架け替えられている。昭和48年(1973)の付替えにより、旧橋の板石と高欄石は山本北第2公園に移築・展示された。一方供養碑は現福栄橋の西たもとに残されたが、立ち入り禁止の柵内(恩智川水防事務組合)片隅に草に埋もれて存在がわからない。
指定文化財 | 未指定 |
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時代 | 明治 |
関連する文化財など | 供養碑(1800年) |
施設情報 | レンタルサイクル:近鉄「河内山本」駅南 |
備考 | 公園内には「北山本地蔵」の祠もある。また隣の集会所前に八尾市指定保全樹木 くすのきがある |
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小学校区 | 北山本小学校区 |