石板
この地は光平の住んでいた教恩寺の跡である。光平は林(道明寺)の尊光寺に生まれ、早くから国学を修め、弘化二年(一八四五)この教恩寺に住?として来り一六年間ここに住んだ。 光平は仏事勤行より国典の講義をしたり、和歌を教え、また御陵の調査に専念したが、のち天誅組に加わり、捕えられて京都で処刑された。玉祖神社の石段下に墓があるが、これは生前光平が大和、大阪を往復のさい、十三峠を通っていたので、五十年忌にあたり河内の有志が建てたものである。【出典:『史跡の道・説明石板』(八尾市郷土文化推進協議会・八尾菊花ライオンズクラブ・八尾市教育委員会、1983年)】
*石板の説明には一部現状と異なる場合があります。
伴林光平の碑
①大正3年50年忌に、光平の住んでいた教恩寺の跡に、伴林会によって建てられたもので、表に贈従四位伴林君光平碑とあり、裏面には長文の碑銘がきざまれている。【出典:『八尾の史跡』(棚橋利光・八尾市市長公室 市政情報課・八尾市郷土文化研究会、1998年)より抜粋】
②文久3年(1863)8月大和天誅組の旗揚げに参加し、捕えられて京都六角の牢舎で処刑された。時に52歳であった。【出典:『八尾の史跡』(棚橋利光・八尾市市長公室 市政情報課・八尾市郷土文化研究会、1998年)より抜粋】
指定文化財 | 未指定 |
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時代 | 江戸 |
施設情報 | レンタルサイクル:近鉄「八尾」駅にあり |
見どころ | 静かな住宅街の中にある公園内に碑がある |
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小学校区 | 高美小学校区 |