心合寺山古墳全景
心合寺山古墳は、5世紀前半につくられた中河内最大の前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)で、当時この地域一帯を治めた豪族の墓と考えられます。墳丘長は約160mあり、史跡指定範囲の総面積は約30,000㎡です。墳丘は三段築成で、くびれ部西側に「造り出し(つくりだし)」があり、平坦面には円筒埴輪(えんとうはにわ)や朝顔型埴輪(あさがおがたはにわ)などが立て並べられ、斜面には葺石(ふきいし)が葺かれていました。埋葬施設は、後円部に3つの「粘土槨(ねんどかく)」、前方部の「方形壇(ほうけいだん)」の下に木棺がありました。後円部の粘土槨のひとつである西槨から、甲冑(かっちゅう)、き鳳鏡(ほうきょう)、刀剣類などの副葬品が出土しています。周辺には、西ノ山古墳や花岡山古墳など古墳時代前期から中期にかけての古墳が造営されており、心合寺山古墳を含むこれらを総称して「楽音寺(がくおんじ)・大竹(おおたけ)古墳群」と呼んでいます。【出典:『史跡の道・ステンレス製説明板』(八尾市教育委員会、2005年)】
*説明には一部現状と異なる場合があります。
心合寺山古墳は、約1600年前の古墳時代中期に造られた前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)です。大きさは全長約160m、高さ約13mで、中河内で最も大きな古墳です。古墳には、3つの平坦な段があり三段築成(さんだんちくせい)、平坦な段には3000本以上の埴輪が並べられていたと考えられます。墳丘の斜面全体が、葺石(ふきいし)と呼ばれる石によって覆われていたことがわかりました。
【埋葬施設】丸い円の墳丘部分である後円部の一番上で、粘土槨(ねんどかく)と呼ばれる粘土で包んだ木の棺が3基見つかりましたが、台形の部分である前方部では木の棺1基が直接埋めてありました。
【出土遺物】埋葬施設からは、鳥の模様で飾られた青銅鏡のほかに甲冑(かっちゅう)、大刀(たち)、勾玉などの首飾りが出土しています。また、埴輪は、「水の祭祀場を表した埴輪」に代表されるように、円筒埴輪(えんとうはにわ)や家形埴輪(いえがたはにわ)、鶏形埴輪(にわとりがたはにわ)、壺形埴輪(つぼがたはにわ)など様々な形の埴輪がありました。[国指定文化財:昭和41年2月25日指定]【出典:『八尾市文化財情報システム』より】
心合寺山古墳1
心合寺山古墳2
心合寺山古墳3
指定文化財 | 国指定文化財 |
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時代 | 古墳 |
関連する文化財など | 埴輪・甲冑・鏡 |
施設情報 | トイレ:あり(しおんじやま古墳学習館) |
駐車場 | しおんじやま古墳学習館:7台(有料 1時間100円 以降1時間ごと100円) |
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見どころ | ①現場:古墳往時を再現するように整備されている。見学コースも6カ所に分かれ、其々に説明板がある。また古墳時代ゆかりの木々が植樹され、池・石畳の小道の景観が素晴らしい。古墳のふもとには大きな木立、東方は信貴高安山・西方は大阪平野が望め、近辺の憩いの場になっている。古墳の西側には「八尾市立しおんじやま古墳学習館」がある。 ②道中:標識:近鉄「服部川」駅から数か所あり。道中、「八尾市立歴史民俗資料館」前に史跡コースマップがあるので、ルート確認すると便利。北側入口の前(北)に浄土宗「菩提寺」がある。 |
備考 | ①最寄りの史跡など:鏡塚古墳、西ノ山古墳、向山古墳 等 ②近鉄「服部川」駅からの道中に「八尾市立歴史民俗資料館」がある |
小学校区 | 高安小学校・中学校区 |
所在地 | 八尾市大竹4・5丁目 |
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交通ルート | 近鉄「服部川」駅から徒歩約20分/近鉄バス「大竹」から徒歩約5分 |
最寄駅 | 近鉄「服部川」駅/近鉄バス「大竹」 |
電話番号 | |
FAX番号 | |
HPアドレス | http://racco-taiken.com/sionji/ |