正面
守屋大連を葬ったところと伝えられ「河内名所図会」には、塚状の丘の上に一本松のある姿が記されている。明治のはじめ、堺県知事小河一敏が、ここに守屋顕彰の碑と石灯籠を建てた。昭和十二年守屋の千三百五十年祭には日本書記の一節を刻し、裏面に追悼文をきざんだ碑を建て、右側に石灯籠を献じた。墳の前は、旧奈良街道ですなわち国道二十五号線がある。【出典:『史跡の道・説明石板』(八尾郷土文化推進協議会・八尾菊花ライオンズクラブ・八尾市教育委員会、1984年)】
*石板の説明には一部現状と異なる場合があります。
墓石
指定文化財 | 未指定 |
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時代 | 不明 |
施設情報 | レンタルサイクル:JR「八尾」駅にあり |
見どころ | すぐ前は国道二十五号線(旧奈良街道)で交通量多い |
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備考 | ①最寄りの史跡など:付近には勝軍寺、鏑矢塚、弓代塚がある。 ②敷地内は施錠され立ち入れない、石板は顕彰碑の裏側に設置せれて見にくい |
小学校区 | 龍華小学校区 |