鳥居・社殿
権現社の沿革:神社明細書には「慶長年間(一五九六~一六一四)に、熊野権現を勧請した」と書かれている。寛政二年(一七九〇)意満寺の南西端にあった愛宕神社を合祀した。鎮座地 当初は、黒谷一〇二一番地 山頂に近い常川(伝承)。その後、黒谷一一四二番地…現在地の南東 約一〇〇メートルに遷座。昭和三年(一九二八)十月三日 現在地に遷座。昭和十五年(一九四〇)境内を東部に大拡張(約五倍に)して神殿 拝殿 玉垣などを建設、神社の様式を整えた。昭和六二年(一九八七)神殿を改修、境内を東部に拡張した。境内にある古い灯籠 南部にある一基は元禄十三年(1700) 拝殿前の二基は宝暦二年(1752)【出典:説明石板』(1987年)】
境内
①権現社:黒谷地区の氏神で、熊野神社とも言う。熊野権現を祀る。明治5年に教興寺村の天照大神高座神社に合祀されたが、今はもどる。信貴山へ登る古道(信貴道)が神社の南側を通って山道となる。今は、この古道はほとんど消えている。丁石は寛政13年(1801)のものが、寺池そばの三丁石から始まって四、六、七丁石と残っている。【出典:『八尾の史跡』(棚橋利光・八尾市市長公室 市政情報課・八尾市郷土文化研究会、1999年)より抜粋】
②信貴道道標と丁石:旧高野街道の教興寺四つ辻は、高安信貴山道の起点であり道標が2本建っている。南西角の寺川家前の道標は、宝永5年(1708)のもので、市内の建設年次を記した道標としては一番古いものである。南東角の浅田家前の道標は、元治1年(1864)のもので、いずれも信貴山案内のものである。参詣道には一丁毎に丁石が建てられ、今も十数本の丁石が残っていて昔をしのばせる。【出典:『八尾の史跡』(棚橋利光・八尾市市長公室 市政情報課・八尾市郷土文化研究会、1999年)より抜粋】
指定文化財 | 未指定 |
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時代 | 安土桃山(伝) |
関連する文化財など | 信貴道道標と丁石 |
施設情報 | ①レンタサイクル:近鉄「高安」駅にあり ②トイレ:すぐ付近の「市民の森」入り口にあり |
見どころ | ①現場:境内に力石が三つ転がっている。神社入り口に信貴山道六丁石がある。 ②道中:近鉄「信貴山口」駅から現場までの道中、東側(山側)は高安山、西側は大阪平野、素晴らしい景色が眺望できる。近鉄「信貴山口」駅から南へ、信貴山へ登る古道が南側にとおる。 |
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備考 | 最寄りの史跡など:信貴山道、岩戸神社 等 |
小学校区 | 南高安小学校区 |