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創祀 世紀三二三年(皇紀九八三年)仁徳帝の御代鎮座 一、祭神 本殿は須佐男命 (別名)牛頭天王 金比羅社(右)大國主命 事代主命 稲荷社(左)櫛名多比賣命 右は河内風土記に據る【出典:『木製説明板』(郡川地區会、1982年)】
天照大神高座神社:教興寺字弁天山の山腹にあり、梅岩寺本堂の裏道から谷を通って通じる近道がある。式内社で、もと春日戸神と称したという。貞観1年(859)1月には従五位上を授けられている。神殿は高所にある巨岩の窟の中に有り、傍に白飯の滝がある。【出典:『八尾の史跡』(棚橋利光・八尾市市長公室 市政情報課・八尾市郷土文化研究会、1999年)】
式内社で常世岐姫神社といったが地元では八王子神社として親しまれている。 古記録によれば宝亀七年(七七六)の夏河内國大県郡の人正六位上、赤染人足ら十三人に常世岐の姓を与えたという。 この赤染とは茜染のことでこのあたりの人々が茜染めをやっていたことがわかりこの人々の祖神を祭ったものであろう。 今は安産の神として名高い。【出典:『史跡の道・説明石板』(八尾郷土文化推進協議会・八尾菊花ライオンズクラブ・八尾市教育委員会、1980年)】
*石板の説明には一部現状と異なる場合があります。
天王の森:恩智神社の旧社地でお祭りの時のお旅所となる。天王の森というが、現在はほとんどが広場となっている。広場中央には境外末社の八坂社(祇園社)の小さな祠がある。祇園社の神は明治以前は牛頭天王と言った。天王の森の名は、この牛頭天王に由来すると思われる。神社では、織田信長の時に牛頭天王を祀ったとするが、「恩智社代々言伝書」などからみると、中世の神仏混淆の時代に恩智の一の宮の祭神として牛頭天王を祀った時期があったものと思われる。【出典:『八尾の史跡』(棚橋利光・八尾市市長公室 市政情報課・八尾市郷土文化研究会、1999年)】
この地、天王の森は恩智神社のお旅所でこの森を中心として東高野街道から恩智川に至る付近一帯は府下でも有名な弥生時代の遺跡で大阪府の建てた碑がある。近年縄文式土器も出土している。 今日まで地下およそ三メートルの辺から種々の石器土器が出土し、またこの斜面から石鏃が露出した。【出典:『史跡の道・説明石板』(八尾郷土文化推進協議会・八尾菊花ライオンズクラブ・八尾市教育委員会、1980年)】
*石板の説明には一部現状と異なる場合があります。
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