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本校は八尾市の南東部に位置し、大和川の支流の長瀬川と玉串川(共に旧大和川)に挟まれた土地にある。
歴史的には弥生時代から室町時代にかけての石器や土器、埴輪が出土する「東弓削遺跡」を校区に持ち、古くから人々が居住していた。
「曙川」という地名には、次のようないわれがある。
聖徳太子が物部守屋を攻撃するためにこの地に来た時、夜が明けた。そこで、川の水で顔を洗われその川を「明け川」と呼ばれた。それ以降、このあたり一帯を「明け川」と呼ぶようになり、後に「曙川」となった。
以前は純農村地帯であったこの地も、他の市域と同様、大阪都心部のドーナツ化現象により昭和43年ごろから人口が急増して、学校付近一帯の田畑の多くが宅地化し、昔の面影がなくなってきた。しかし、旧の8月28日に行われる八尾木不動尊の例祭の日に、家々に展示され続けてきた農作物で作った「つくりもん」に見られるように、伝統を守ろうとする地域の人たちの心意気は今なお引き継がれている。
―学校教育目標―
新しい時代を生きぬく、知・徳・体の調和のとれた人間性豊かな子どもの育成を図る。
―めざす子ども像―
・生命を大切にする子ども
・すすんで働く子ども
・仲間と共に伸びる子ども
・よく考え工夫する子ども
―学校の教育目標―
自他の人権を尊重し「知・徳・体」の調和のとれた豊かな人間性をもった児童を育成する。
―校章―
いちょうは八尾市の木に選定されています。
八尾市の木である「いちょうの葉」をデザインしたものです。
長寿の木といわれ、天然記念物に指定される老樹も多いようです。
本校児童が、いちょうのように、大地にしっかり根をおろし、未来に向かって伸長することを願うと共に、本校の悠久の発展を象徴したものです
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