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大坂夏の陣で戦死した重成の墓は、もとはここから東五〇メートルの地点にあったが、 昭和四二年第二寝屋川の開削工事により、その川筋にあったのでここに移された。 この墓は、宝暦一四年(一七六四)重成の一五〇回忌にあたって、重成の首を落とした安藤長三郎の子孫で、彦根藩士安藤次輝が建てたもので,昭和一四年大阪府の史跡として指定されている。【出典『史跡の道・説明石板』八尾郷土文化推進協議会・八尾菊花ライオンズクラブ・八尾市・八尾教育委員会、1983年】
*石板の説明には一部現状と異なる場合があります。
久宝寺緑地では、色とりどりのシャクヤク(約45品種2000株)が咲き誇ります。開花は例年5月初旬から。シャクヤク園は開花時期のみ開園されますので、詳細は久宝寺緑地公園事務所にお問合せください。
「河内音頭のふるさと・八尾」の夏の風物詩として9月上旬に盛大に開催される恒例行事「八尾河内音頭まつり」。
河内音頭グランプリ、マルシェdeオンド、大盆踊り大会などが行われ、河内音頭一色のまつりとなり、多くの市民で賑わいます。
式内社で玉祖明神とか、高安明神ともいう、 高安十一カ村の氏神で、和銅三(七一〇)年周防国から分霊を勧請したもので、祭神は櫛明玉命である、この地に玉造部の人人が住んでいたので、その祖神をまつったものであろう。 寺宝も多く、北条時政の制札(重文)男女神像(府、重、美)樟樹(府天然記念物)豊臣秀頼寄進の石灯篭などがある。 神社の北方を東西に十三街道が走り、大阪の玉造に通じ、玉祖、玉造りの地名からこの街道のもつ意義は大きい。【出典:『史跡の道・説明石板』(八尾郷土文化推進協議会・八尾菊花ライオンズクラブ・八尾市教育委員会、1981年)】
*石板の説明には一部現状と異なる場合があります。
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