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由義神社の西方、公園横にある。雑木の繁みの中に「高松信重墓」とある。応仁文明の乱に、細川勝元にしたがって、この辺で戦死したものと伝える。おこりの神としての俗信仰がある。【出典:『八尾の史跡』(棚橋利光・八尾市市長公室・八尾市郷土文化研究会、1998年)より抜粋】
由緒
太川神社は太子堂中央字高見に鎮座(現在地八尾市南太子堂六丁目拾壱番地)太子堂は聖徳太子縁の古き地にして神社の建立亦古し創建の年代は詳らかならざるも古来より當領水域一円を潤す太川の名に因み太川神社と称え奉る。御祭神の素戔嗚命は災難、厄除け招福の神として勇氣と活力を授け給い保食神は五穀豊穣と商賣繁昌に靈驗灼かなり。舊大和川、太川は太古より洪水の歴史を繰り返し、寶永元年(西暦一七〇四年)現在の大和川に川違えせらる。翌寶永二年旱魃起り以来村民水飢饉に苦しみ、厄除けの爲神社に参籠とんどを行い御祭神に祈願せり、その後惡疫水災害の憂いもなく平穏安泰となり住民遍く神の御恵みに浴し太子堂の氏神として崇敬篤く現在に至る。明治五年村社に列し、同年本地の稲荷社を合祀せり。【出典:『説明木板』(1983年)】
杵築神社
御祭神
主祭神 素戔嗚尊(すさのをのみこと)(五穀豊穣・厄病祓の神)
相殿神 天児屋命(あめのこやねのみこと)(融和の神)
天満天神(てんまてんじん)(学問と農耕の水の神)
塩椎神(しおつちのかみ)(陸海路守護の神)
白山媛命(しらやまひめのみこと)(心の和の神)
摂社
皇大神宮
天照大神(あまてらすおおみかみ)(皇室の祖神)
豊受大神(とようのおおかみ)(五穀を司る神)
末社
稲荷神社
宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)(各種産業の神)
沿革
神社創建の年代は不明である。往古、大和川は八尾の地を北流し、旧淀川に合流して大阪湾に注いでいた。当時は度々洪水が起りこの地の住民は塗炭の苦しみを受けていたので、小祠を建立し神のご加護を願ったのが始と云われている。宝永元年(一七〇四)大和川の付替工事が完成し、以降洪水の被害も無く、平穏安泰の地となったので住民達は神恩を感謝して新しく社殿を建立し、こヽに東老原村の氏神としての杵築神社の誕生を見ることになる。時に安永五年(一七七六)。明治四年(一八七一)太政官布告によって村社に列せられる。次いで明治三十九年(一九〇六)神社合祀令が発布され、道明寺村郷社土師神社に合祀される。大正十二年(一九二三)村民の寄進によって社殿の修理、境内の整備を行い、御神体を迎え旧に復して現在に至る。然し乍ら、幾星霜の歳月を経て社殿の損傷甚だしきため、此度氏子中の奉賛を得て、茲に本殿・拝殿並びに社務所を修造し奉る。平成十三年三月吉日 【出典:『説明銅板』(杵築神社修復実行委員会2001年)】
御祭神 素戔嗚尊(すさのおのみこと)
由緒 長瀬川上流左岸と了意川(現平野川)上流右岸に位置するこの地は早くから拓け、古くから農作に從うもの現れ、豊穣の神といわれた素戔嗚尊を祀り氏神として豊作をねがったのである。老原は、奈良朝期から存在していたと伝えられている。この神社の創祀は未詳であるが、当南老原定善寺が大永二年(一五二二年)の創建と記録されていることから、それより久しく以前であることは確かであろう。現在の灯籠が最も古く享保十三年(一七二八年)次いで鳥居が文化十一年(一八一四年)に建立されており、旧社殿もこの頃再建されたと思われるが、昭和三十六年(一九六一年)の台風渦で倒壊、その後仮殿となっていたが、このたび氏子中の総意により新しく造営されたものである。平成十年十一月 記之【出典:『造営記念由来石板』(1998年)】
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