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神社・仏閣

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鳥居

おおたはちまんぐう
太田八幡宮

太田地区の氏神で、もと免田神社と言った。免田は字名。品陀別命を祀る。【出典:『八尾の史跡』(棚橋利光著・八尾市市長公室市政情報課・八尾市郷土文化研究会1998年)】より抜粋

正門

だいしょうしょうぐんじ
大聖勝軍寺

椋樹山大聖勝軍寺と称し、高野山真言宗に属し、叡福寺(太子町)に対して「下の太子」という。 聖徳太子は物部守屋を滅ぼすにあたり、四天王に祈願、その加護によりいくさに勝つたので、この寺を建てたという。  明治二十一年(一八八八)の台風で本堂(地蔵堂)が倒壊し、昭和四十六年復興が計画、旧太子殿の背後に新太子殿が建った。  本尊は如意輪観音(府重要文化財)で寺宝も多い。門前に守屋池、付近には鎬矢塚、弓代塚、龍華出張所前には物部守屋大連墳がある。【出典:『史跡の道・説明石板』(八尾郷土文化推進協議会・八尾菊花ライオンズクラブ・八尾市教育委員会、1983年)】

*石板の説明には一部現状と異なる場合があります。

社殿

おんぢじんじゃ
恩智神社

式内社でもと天児屋根命をまつったが枚岡神社に遷座の後は五世の孫大御食津彦命、大御食津姫命をまつる。河内の二の宮で元春日と称されている。当社は初め天王の森にあったが恩智城を築くにあたり現地へ移したと伝えられる。 古くからお粥占や茅巻の神事が行われ社殿裏には横穴式古墳があり北辺の垣内山は銅鐸出土地として名高い。【出典:『史跡の道・説明石板』(八尾郷土文化推進協議会・八尾菊花ライオンズクラブ・八尾市教育委員会、1980年)】

*石板の説明には一部現状と異なる場合があります。

しんかんじ
真観寺

臨済宗南禅寺派金地院末で、地蔵盆で名高い常光寺(本町)とは兄弟寺である。応永元年(一三九四)管領畠山尾張守満家の願いで、叔父の南禅寺大業徳基禅師が開山した。 大坂夏の陣で伽藍が焼失したが金地院崇伝が再興、その後江戸時代に再び焼失した。戦国時代の古文書、徳川歴代将軍の朱印状があり、境内には細川晴元の執筆で河内国ほか七ヵ国を支配していた三好長慶の墓がある。古くは寺院の周辺に真観寺薮と称された薮と築地(土べい)があった。【出典:『史跡の道・説明石板』(八尾郷土文化推進協議会・八尾菊花ライオンズクラブ・八尾市教育委員会、1983年)】

*石板の説明には一部現状と異なる場合があります。

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