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神社・仏閣

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社殿

さまたどじんじゃ
佐麻多度神社

式内社で当地山畑の産土神である、旧社地は百メートルうえの扇状地の谷口天神山にあったが、明治三十一(一八九八)年現地へ移った。 山畑神社はこの社の末社で春日御子大明神なり。 敷地は東西七メートル 南北一〇メートルあり、この付近から素焼の陶棺が出土、今は東京博物館にある。 境内に力石(一六五キログラム)があり、明治初期にはこの石をもちあげて力くらべを楽しんだ。【出典:『史跡の道・説明石板』(八尾郷土文化推進協議会・八尾菊花ライオンズクラブ・八尾市教育委員会、1981年)】

*石板の説明には一部現状と異なる場合があります。

鳥居

くまのじんじゃ
熊野神社

熊野神社分神鎮座記念碑
昔、楽音寺熊野神社は、西の山の東金比羅屋敷にありましたが、明治初期に、貴島康彦先祖の土地である当地に移されたが、その後倒壊し、御身(神)体は、神立にある郷社玉祖神社に預けられました。昭和三十一年七月十五日、当神社再建にともない、預けた御身体を持ち帰ったが、御神体名については宮司並びに村民に尋ねたが誰一人として知る人がおらず、故に村の三役によって熊野本宮大社へ参り、宮司様とお会いして由来を聞いた。それによると「京都より摂津泉を過ぎ当国に入り田辺より近露を経て当地に至る沿道に諸王子社あり、古くは、哀微して僅かに地名のみそのあとを止めている状況であります。全国に分布する熊野神社の分社は5千社あって大阪府下には六十余社が分神としてまつられている」とのことであり、当神社もその一つであることが判明したので、昭和五十七年七月十五日、新たに分神として迎え、之を記念し建立したものである。【出典:説明石板』(1986年)】

参道入口鳥居

いわとじんじゃ
岩戸神社

教興寺字弁天山の山腹の巨岩の中にある。俗に岩屋弁天として名高く、神体は木彫の極彩色の弁財天であったが、明治の初め神仏分離後教興寺の本堂に安置されていた。 古くは教興寺の鎭守であり傍らに式内社で春日戸神と称した天照大神髙座神社が巨岩の窟の中にあった。いかなる旱天にも流れの変らない白飯の滝がある。【出典:『史跡の道・説明石板』(八尾郷土文化推進協議会・八尾菊花ライオンズクラブ・八尾市教育委員会、1980年)】

社殿

てんのうしゃ
天王社

創祀 世紀三二三年(皇紀九八三年)仁徳帝の御代鎮座 一、祭神 本殿は須佐男命 (別名)牛頭天王  金比羅社(右)大國主命 事代主命 稲荷社(左)櫛名多比賣命 右は河内風土記に據る【出典:『木製説明板』(郡川地區会、1982年)】

社殿

あまてらすおおみかみたかくらじんじゃ
天照大神高座神社

天照大神高座神社:教興寺字弁天山の山腹にあり、梅岩寺本堂の裏道から谷を通って通じる近道がある。式内社で、もと春日戸神と称したという。貞観1年(859)1月には従五位上を授けられている。神殿は高所にある巨岩の窟の中に有り、傍に白飯の滝がある。【出典:『八尾の史跡』(棚橋利光・八尾市市長公室 市政情報課・八尾市郷土文化研究会、1999年)】

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