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―教育目標―
★たくましくやさしく心豊かに生きる子ども★
○元気に遊ぶ子ども
○思いやり、感じる子ども
○よく考え自分で行動する子ども
○つたえあいつながる子ども
―主な取り組み―
・自分で選んだ好きな遊びや学級活動、園全体の活動を通して主体性を育てています。「幼稚園が大好き友だちが大好き」と感じるよう、友だちの良さやもち味を認め合い、共に育ち合う仲間づくりに努めています。
・子どもたちが自信をもって自己を表現し、友だちの思いにも気づけるよう取り組んでいます。
・四季折々の野菜、草花、果実を栽培しています。 ・自然の美しさや不思議さなどに直接ふれる体験を通して、生命を大切にする気持ちや豊かな心を育んでいます。
・花配りを通して、地域の方々との温かい交流を行っています。
本校は昭和48年に開校しました。障がいのある子どもたちの成長を願って作られた学校です。
子どもたちは毎日元気に登校して、楽しく学校生活を送っています。
―教育目標―
日本国憲法と教育基本法の精神を基盤として、
知・徳・体の調和をはかり自他の人権を尊重し、
自主的で心身ともに健全な生徒を育成する。
―校訓―
自立 個人としての資質の向上と進歩
友愛 集団の一員としての自覚と実践
本校は八尾市の南東部に位置し、大和川の支流の長瀬川と玉串川(共に旧大和川)に挟まれた土地にある。
歴史的には弥生時代から室町時代にかけての石器や土器、埴輪が出土する「東弓削遺跡」を校区に持ち、古くから人々が居住していた。
「曙川」という地名には、次のようないわれがある。
聖徳太子が物部守屋を攻撃するためにこの地に来た時、夜が明けた。そこで、川の水で顔を洗われその川を「明け川」と呼ばれた。それ以降、このあたり一帯を「明け川」と呼ぶようになり、後に「曙川」となった。
以前は純農村地帯であったこの地も、他の市域と同様、大阪都心部のドーナツ化現象により昭和43年ごろから人口が急増して、学校付近一帯の田畑の多くが宅地化し、昔の面影がなくなってきた。しかし、旧の8月28日に行われる八尾木不動尊の例祭の日に、家々に展示され続けてきた農作物で作った「つくりもん」に見られるように、伝統を守ろうとする地域の人たちの心意気は今なお引き継がれている。
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