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神社・仏閣

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重成・左馬介の墓

きむらしげなりのはか
木村重成の墓

大坂夏の陣で戦死した重成の墓は、もとはここから東五〇メートルの地点にあったが、 昭和四二年第二寝屋川の開削工事により、その川筋にあったのでここに移された。  この墓は、宝暦一四年(一七六四)重成の一五〇回忌にあたって、重成の首を落とした安藤長三郎の子孫で、彦根藩士安藤次輝が建てたもので,昭和一四年大阪府の史跡として指定されている。【出典『史跡の道・説明石板』八尾郷土文化推進協議会・八尾菊花ライオンズクラブ・八尾市・八尾教育委員会、1983年】

*石板の説明には一部現状と異なる場合があります。

本堂

やないだ
矢無田地蔵尊

むかし、この付近には矢無田村があったので、その名が残っている。 
 花崗岩製。高さ一〇四センチメートル、巾五十二センチメートルの舟形光背をつくり、像高七十六センチメートル、巾二十六センチメートル、厚さ八センチメートルの地蔵立像を陽刻している。
 肩の線から上は折損しているので別石で後補している。
右手の錫杖の欠損している先は蓮華花となっている。
 地蔵と観音の両方のご利益を願ったかどうかは分からない。
 伝承によれば、この石仏は大阪城構築のときの積残し石に仏像が彫られていたので持ち帰り祀ったといわれるものである。
【出典:『八尾の石仏』八尾市教育委員会、谷野浩 1987年】

ゆみしろづか
弓代塚

龍華中学校の南方にある。高さおよそ50㎝、周り4m四方の塚状の盛り土の上に、迹見赤檮発箭地(とみのいちいはっせんち)史蹟 弓代の碑が建てられてある。迹見赤檮が物部守屋を射たときに用いた弓を、記念として埋めた所と伝える。【出典:『八尾の史跡』(棚橋利光著・八尾市市長公室市政情報課・八尾市郷土文化研究会1998年)より抜粋】

たつえじぞう
立江地蔵(通称子宝地蔵)と常夜灯

祭気祀組織 地蔵講十軒四国立江寺から明治の終わり頃もらってきた。【出典:『八尾の地蔵さん』(八尾市立歴史民俗資料館友の会石造物部会 平成13年)より抜粋】

せいさつばあと
制札場跡

制札場とは江戸時代に幕府代官や領主が掟、条目、禁令を板又は紙に記して掲示し、住民に法令の周知徹底を期したところである。【出典:『説明石柱』(八尾郷土文化推進協議会・八尾市教育委員会)】

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