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高田家は、江戸時代には油屋と号し、久宝寺村の庄屋を務めてきたため、村に関する貴重な文書等が多数伝わっています。 顕証寺(けんしょうじ)に通じる東西の通りに面する主屋(おもや)は、屋敷構えを出格子(でこうし)と虫籠窓(むしごまど)で整え、瓦葺きの米蔵は屋敷の東側に建てられています。本住宅の周囲は碁盤目状の町割りがみられ、寺内町の歴史的な景観を残す貴重な建物であることから、平成20年3月に主屋と米蔵が国登録有形文化財となりました。【出典:『ステンレス製説明板』(八尾市教育委員会)】
*説明には一部現状と異なる場合があります。
地蔵盆踊りや狂言「八尾」で知られる常光寺は、臨済宗南禅寺派の寺で、地蔵菩薩(南北朝時代・市指定文化財)を本尊としています。南北朝時代の戦乱で荒廃していましたが、至徳(しとく)二年(1385年)に藤原盛継(もりつぐ)らによって復興され、天文(てんぶん)年間(1532 .1555年)には五山筆頭(ござんひっとう)南禅寺金地院末(こんちいんまつ)(禅宗寺院の京都五山の上に置かれる南禅寺金地院を本山とする寺)となっています。
三門は、『河内名所図絵(ずえ)』(1801年)や寺に残された絵図では二重門に描かれていますが、文化十年(1813年)の修復に関する文書が残されており、江戸時代末期頃に楼門に改築されたようです。 府内では五山禅院の末寺(まつじ) は少なく、常光寺の三門は、五山禅院の歴史的空間を継承した境内と外界を仕切る建造物として重要な役割を果たしています。【出典:『八尾市市政だより 平成23年1月号 18ページ』より】
[八尾市指定文化財:平成22年指定]
もとは北側の市道交差点にありましたが、道路拡幅に伴い、通行に危険なため、平成17(2005)年5月にとりのぞかれることとなり、二本の門柱のうち西側の一部が、保存されることになりました。この門柱には、「通用門」と彫られた大理石がはめこまれています。大阪航空廠は、昭和15(1940)年に、軍事用の飛行機の組み立てや修理・整備などを行う施設として、建設されました。現在の八尾空港は、太平洋戦争中は、大正飛行場とよばれる軍事用の飛行場でした。その西側の八尾市西木の本から大阪市平野区長吉の一帯が大阪航空廠で、約二千人の人々が働いていました。その中には軍人や技師だけでなく、近くの村から集められた人々や、大正校区の生徒・児童たちも働いていたといわれています。戦争中の人々のくらしを後世に伝える、八尾市内の数少ない遺産の一つとして貴重です。平成17年6月八尾市教育委員会 文化財課【出典:『ステンレス製説明板』(八尾市教育委員会、2005年)】
*説明には一部現状と異なる場合があります。
平成16年11月に、主屋、乾蔵、巽蔵、東納屋、南納屋が国登録有形文化財になりました。主屋は、嘉永元年の祈祷札が発見され、乾蔵とともに、江戸時代末期の建築です。当時の建築様式を良く保っており、久宝寺寺内町で最も古い町家の一つとして、貴重なものです。また、5棟の建造物全体が、寺内町の屋敷景観を良く残しています。 【出典:『ステンレス製説明板』(八尾市教育委員会)】
*説明には一部現状と異なる場合があります。
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