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神社・仏閣

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石板

なかたいせき
中田遺跡

中田を中心に東は刑部、西は別宮、北は小阪合、南は八尾木の範囲にひろがる広大な集落遺跡である。 弥生時代後期から人々が住みはじめ、古墳時代には大集落に発展している。奈良時代は「西の京」造営と関係があるのか平安時代中期の頃までの遺構、遺物の埋蔵が見られない。鎌倉時代に入ると寺を中心として再び大集落が復活し、室町時代末期まで繁栄している。 中田遺跡の特徴の一つに古墳時代前期の頃「吉備国」から運ばれた土器が多量に出土していることである。これは国土統一期における河内国と吉備国との関係を物語る貴重な資料となっている。【出典:『史跡の道・説明石板』(八尾市郷土文化推進協議会・八尾菊花ライオンズクラブ・八尾市教育委員会、1983年)】

*石板の説明には一部現状と異なる場合があります。

三十八神社入口

じょうりわりいこう(ふくまんじ)
条里割遺構(福万寺)

大化改新(六四五)のさいに行われた耕地の割り方である、耕地を東西、南北にそれぞれ六町四方に区画し、一辺を条、他の辺を里と名づけ、それを三十六等分し、その一つを一坪とした。一坪は一町歩にあたり、坪の数え方は、千鳥式と平行式があるが当地域では千鳥式である。この地福万寺や上ノ島には、今も味の一の坪、二の坪…という坪名が残っていて、古い条里制遺構の残る地として名高い。【出典『八尾市民教育委員会・八尾菊花ライオンズクラブ』史跡の道・説明石板】

*石板の説明には一部現状と異なる場合があります。

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