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神社・仏閣

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石板

おたいやいち
お逮夜市

八尾御坊(大信寺)と久宝寺御坊(顕証寺)との間につづいた露店市である、現在は交通事情のため、八尾御坊の境内、御坊前の道路上に露店商が店をならべ、苗物、農工具、古着、荒物、雑貨品などを売り買物客でにぎわっている。 むかしは大和方面からも買物に来たという。 お逮夜の起源は明らかでないが、毎月二十七日は宗祖親鸞聖人の逮夜日にあたり、その法要に参拝する人々を目当てに開かれたのでこの名がある。 十一日にも開かれているがこの起源は明らかでない。【出典:『史跡の道・説明石板』(八尾市郷土文化推進協議会・八尾菊花ライオンズクラブ・八尾市教育委員会、1983年)】

*石板の説明には一部現状と異なる場合があります。

石板

ともばやしみつひらのひ
伴林光平の碑

この地は光平の住んでいた教恩寺の跡である。光平は林(道明寺)の尊光寺に生まれ、早くから国学を修め、弘化二年(一八四五)この教恩寺に住?として来り一六年間ここに住んだ。 光平は仏事勤行より国典の講義をしたり、和歌を教え、また御陵の調査に専念したが、のち天誅組に加わり、捕えられて京都で処刑された。玉祖神社の石段下に墓があるが、これは生前光平が大和、大阪を往復のさい、十三峠を通っていたので、五十年忌にあたり河内の有志が建てたものである。【出典:『史跡の道・説明石板』(八尾市郷土文化推進協議会・八尾菊花ライオンズクラブ・八尾市教育委員会、1983年)】

*石板の説明には一部現状と異なる場合があります。

六地蔵

さいごうぼちのせきぶつ
西郷墓地の石仏

墓地の入口の六地蔵は古風である。その右端の一体は、温和な表情、丁寧な彫りで、均整がとれた地蔵である。像の左右に銘文がある。□□岳大菩薩妙□□尼菩提 天正三亥年宗清禅定□菩提深寛大法妙菩薩 二月三日 天正3年(1575)の造立である。【出典:『八尾の史跡』(棚橋利光・八尾市市長公室・八尾市郷土文化研究会、1998年)より抜粋

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