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神社・仏閣

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たつえじぞう
立江地蔵(通称子宝地蔵)と常夜灯

祭気祀組織 地蔵講十軒四国立江寺から明治の終わり頃もらってきた。【出典:『八尾の地蔵さん』(八尾市立歴史民俗資料館友の会石造物部会 平成13年)より抜粋】

せいさつばあと
制札場跡

制札場とは江戸時代に幕府代官や領主が掟、条目、禁令を板又は紙に記して掲示し、住民に法令の周知徹底を期したところである。【出典:『説明石柱』(八尾郷土文化推進協議会・八尾市教育委員会)】

はなおかやまいせきせきひ
花岡山遺跡石碑

楽音寺の西の山古墳から、南の谷をへだてて、古墳時代前期の前方後円墳の「花岡山古墳」(全長約73m)がありました。この花岡山古墳は元和元年(1615)の大坂夏の陣の際には東軍の井伊直孝の陣地となり、徳川秀忠も立ち寄ったということです。残念なことに昭和30年代に破壊されてしまいました。【出典:『中河内歴史探訪の道』(中河内地域広域行政推進委員会、2006年)を参考】石碑は、大阪経済法科大学構内にある。

うえまつきょうどうぼち
植松共同墓地(植松晒墓地)

植松共同墓地由来:行基菩薩は幾内に多くの寺を建て、池を掘り橋をかけ布施屋を設けて仏教の布教と共に人びとの苦悩を救った。当時相つぐ天災に倒れた数多くの人のため河内に七墓を造り厚く葬った。この植松共同墓地もその一にあたり今に河内七墓詣りの信仰が伝えられる。【出典:『行基菩薩開基石版』(八尾市教育長 青井富三郎書識)】

本堂

あんようじ
安養寺

この地は恩智字向谷といい、本寺裏山の通稱垣内山のすぐ裏手の山裾から大正十年(一九二一)風雨のため山崩れが生じその赤土露出部より流水紋銅鐸が発見された。流水紋様は弥生時代前期から中期にかけて近畿を中心に流行した流水紋土器に見られ、この鐸もその影響を受け作られたものであろう。 銅鐸は現在東京博物館にありその拓本が当寺にある。安養寺は浄土宗で本尊は阿弥陀如来である。【出典:『史跡の道・説明石板』(八尾郷土文化推進協議会・八尾菊花ライオンズクラブ・八尾市教育委員会、1980年)】

*石板の説明には一部現状と異なる場合があります。

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