立石峠の地蔵尊と謡曲「俊徳丸」伝説の地を一周する半日コース
[おと越え、立石街道]
おと越え~立石街道は、大阪府八尾市と奈良県生駒郡平群町を山越で結んでいる街道です。大阪と奈良を結ぶ街道の一つとして整備され、信貴山に朝護孫子寺が開かれてからは、その参詣道としても機能しました。途中の八尾市服部川地区で各々に分岐しています。
また、おと越えは、(おおと越え)とも云われ、元は「大道越え」(おうとうごえ)または、
(大戸山からの説もある)などと呼ばれたようですが、いつしか「おとごえ」~「おと越え」と案内しています。道中に(立石越ハイキング)の道標が数ヵ所有ります。
[立石越・おと越え道標]
八尾・山本からきた道は、中高安小学校のところで、二本の山越え道となります。服部川の上を越えるのが立石越道、大窪の上を越えるのがおと越えです。[おと越え]は[おうと越え]ともいわれ、(おと、おうと、おうとうを地名とすると)平群郡信貴畑の大戸山が関係し、おと越え道標は、この近くではここから北東に道をとり、新道から大窪へ入るところに1本、大窪から神立へ行く道からおと越えへの道に1本あります。
約127分
約10.4km
※見物時間、休憩、及び直売所・施設・お店などの時間は含まれておりません。
※坂道の負荷時間は含んでいません。
※1分/80mを基準としています。
約5分
約0.4km
小学校正門前の道標は、天保11年9月に服部川村の観音講同行の人々が、西国三十三カ所参りを祈願して建てたもので、「右、信貴山立石」、「左、おうとごえ」となっています。
八尾・山本からきた道は、旧中高安小学校のところで、二本の山越え道となります。服部川の上を越えるのが立石越道、大窪の上を越えるのがおと越道です。
約10分
約0.8km
御祖(みおや)神社跡は、山王の森(さんのうのもり)と呼ばれています。
「式内御祖神社跡」の碑があります。
また、おかげ灯籠は、伊勢神宮へのおかげ参りの記念に建立。
江戸時代の天保2年(1831)、大窪村の氏神は山王大権現社といわれ「おかげ灯籠」は花崗岩の小型のタカ灯籠で、台座に“おかげ”と大きく陰刻されています。
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毎週金曜日のみ営業、8:30~13:00です。開業は、平成15年(2003)頃から採れたての安心・安全な野菜を販売し、大窪で採れた花々を織り交ぜた花束やアレンジメントなどもある直売所です。
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立石(ハイキング)街道には、途中数ヵ所の道標があり、急な坂道や草木が生い茂り、多少荒れています。
また、雨天後のハイキングは山道が非常に悪い状態ですのでお薦めできません。
約63分
約5.1km
立石峠道を上りつめたところ、道が二股になっています。
この分かれ道のところに地蔵が立っています。
総高120㎝、幅45㎝の舟形光背で像高73㎝の地蔵立像です。
「右 しぎ山たつた道 為無縁法界 久安寺村市兵衛 左 まつのを山え 享保二十乙卯年四月吉日 」右は信貴山、龍田への道、左は松尾山への道を示しています。
お寺の東方に高安山が迫り、西方は大阪平野・はるか大阪湾の先には六甲山を望み、来迎寺墓地付近は古墳が多くみられます。
道中の沿道には、造庭園用の植樹が広がっています。来迎寺と神光寺を結ぶ南北の道を歩くと、東に高安山が迫り、沿道は処々造庭園用の木々が多くみられ、西は大阪平野を一望できるこの地独特の風景が広がっています。標識は、道中に数か所有ります。
また、高安(山)古墳群が境内にあり、案内板が見られます。
大窪・山畑7号墳(抜塚):浄土宗来迎寺の墓地内の南側、現在地から右手に見える横穴式石室墳(よこあなしきせきしつ)です。トンネルのように、通りぬけることができることから、抜塚ともよばれています。現在、残っている部分は、羨道(せんどう)といわれる石室の通路部分です。羨道の長さは8m、高さは2.2mあります。
約23分
約1.9km
その昔行基菩薩により開かれた来迎井(らいごうい)という井戸の跡があり来迎寺と称されました。
付近一帯は高安山古墳群で、境内にも奥行7メートルもある塚があり、その石組は代表的なものです。
また北側の山の傾斜地には家型石棺の入っていた横穴式石室円墳があります。
約1分
約0.1km
石室墳(よこあなしきせきしつ)は、トンネルのように通り抜け出来るので『抜塚』とも呼ばれています。
現在残っている部分は、羨道(せんどう)といわれる石室の通路部分です。
羨道の長さは8m、高さは2.2mあります。
約12分
約1.0km
式内社で当地山畑(やまたけ)の産土神です。
旧社地は100m上の扇状地の谷口天神山にありましたが、明治31年(1898)年現地へ移りました。
境内に力石(165kg)あるいはさし石と呼ばれ石かつて村の青年が、(明治初期)この石を持ち上げて力くらべを楽しみました。
約1分
約0.1km
本地蔵尊は、安永年間(1780年頃)山畑百二十九番屋敷地蔵に出現されました。
村人は、不思議な出来ごとゆえ、この村に縁ある地蔵尊とあると、合議の上当所に安置し、延命地蔵尊とし家内安全、病気祈願ことに子供の守護尊としてあがめられました。
約5分
約0.4km
この辺りは、山畑と書き「やまたけ」と読み、高安山山麓に位置します。地内中央を谷川である山畑川が流れています。
地内には謡曲「弱法師」の主人公とされる俊徳丸のものと伝える屋敷がありました。
しかし、この塚は横穴式石室をもつ六世紀の古墳で実川延若寄進の焼香台があります。
約5分
約0.4km
創建は江戸時代で、別名、高安八幡宮といいます。
祭神は誉田別命(ほんだわけのみこと)(応神天皇おうじんてんのう)、菅原道真(すがわらのみちざね)です。
明治7年(1874)に玉祖神社(たまおや)に合祀、戦後は旧地に遷座しました。境内には、(江戸時代後期)弘化3年(1846)に、融通念仏宗の勧進で知られる「楽山(ぎょうざん)上人」が発願した地蔵石仏(高さ1.35m)があります。
また、現在服部会館にある力石4個はこの境内にあったものです。
約2分
約0.2km