宝永元年(1704)大和川が付替えられましたが、それまでは玉串川と長瀬川がもとの「大和川」でした。二俣で分流したこの川は、山本を通り、稲葉(東大阪市)で吉田川、菱江川に分かれ、吉田川は深野池、新開地に入り、再び菱江川と合流、森河内に至り長瀬川と合流し、大阪城付近で淀川へ注ぎます。
大和川付替え後は、多くの新田が生まれましたが、そのうち「山本新田」は、宝永2年(1705)和泉の人で山中庄兵衛、本山重英により開墾されました。
いまの山本八幡宮の境内東側、玉串川沿いにある一対の燈篭にその銘があります。
玉串川の散策コースでは、四季折々の桜・紅葉だけでなく、鯉やフナ、白鷺・カルガモ、春には鶯の鳴き声など自然が楽しめ、史跡と風景を見ながら川筋散策ができます。毎年3月のお彼岸(春分の日)頃には提灯飾が見られ、4月頃には桜で満開になり、昼夜問わず多くの人で賑わいます。
約106分 約8.7km
※見物時間、休憩、及び直売所・施設・お店などの時間は含まれておりません。
※坂道の負荷時間は含んでいません。
※1分/80mを基準としています。
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近鉄「恩智」駅附近にはお店や商店街があります。近鉄恩智駅から東へ向かうと天王の森(恩智石器時代遺蹟の碑)、恩智左近の墓、恩智神社があります。特に、初詣や「春の桜まつり」また、「夏・秋の布団太鼓祭り」など四季折々で賑います。
里中の開けた土地に鎮座する式内社で、この地はかつての由義宮の中心部に近く、また弓削氏の本拠地でもありました。
周辺は「都塚」と呼ばれており、西の田園地の中に「弁財天塚」、北の入口に「大塚」等があります。
約4分 約0.3km
もとは玉串川すなわち旧大和川の川床地でしたが、宝永元年(1704)大和川付替え後、太田の柏原仁兵衛(かしわらにへい)の開墾した所で、苗字の1字を取って「柏村新田」と呼ばれていました。仁兵衛は工事や住民の安全のため、伏見稲荷から勧請し、この地に祀ったと伝えられています。
別名白姫(しらひめ)神社とも称されます。
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天然温泉で日帰りの入浴施設です。野外には無料の足湯の場所が楽しめます。館内には、食事処、理髪店、マッサージ店、売店と野外には直売所があります。季節の野菜・果物など地元農家のお店が出店しています。気軽に入れるお店です。
このお店は、毎年2月~4月頃にハウス栽培で作ったイチゴを販売しています。進物用の販売もあります。イチゴジャムの販売をしている場合もあります。
約8分 約0.7km
小字名茶之前にあるので茶之前地蔵とも呼ばれています。地蔵さんは村内に疫病の侵入を防ぎ道行く人々の安全を守ってくれるとのことで村の入り口や辻におかれました。
この地蔵は凝灰岩の石棺の蓋(ふた)を利用して作られた石棺仏で、かなり風化していて、顔形も分らず、時代も不明です。
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この公園は平成15年(2003)12月に89歳で亡くなった髙井道子さんの遺言によりできた公園です。夫を亡くしてから20年以上一人暮らしで、近所の人たちに世話になり、また供に支え合った生活を晩年過ごす中、生前から地域のために役立てばと、暮らしの中で節約しながら「誰もが憩える公園」をと財産(約210坪の土地・家屋と貯金約1億4千万)を故人の遺志を親族が市に寄付し、地域と連携し実現、平成18年(2006)3月末に、「和」を基調とした日本庭園風の公園ができました。1階平屋建ての休憩施設は午前中は一般開放され、水洗の洋式トイレもあります。その他環境にも配慮されていて、公園の樹木は旧髙井邸のものです。
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こちらはJA大阪中河内農産物直売所で、地元農家の野菜・果物・加工品・花きの販売をしています。営業は9:00~15:00(特に午前中がお薦めです。)、休日は日曜日です。
約11分 約0.9km
昔、この付近には柳田という地名があったので、その名が残っていると考えられます。
大阪城築城の積残し石に仏像が彫られ、持ち帰り祀ったと言われています。肩付近から折れており、補修したことがうかがえます。
高さ104cm、幅52cmの船形光背、像高76cm、幅26m、厚さ8cmの地蔵立像。
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こちら和菓子店は夏に桃畑に果実が実り、庭園を見ながらお菓子などを味わうことができます。「YAO COLLECTION 2011」(愛称:八尾コレ 2011」
五智果(ごちか)「若ごぼう」が「八尾コレ」賞を受賞しました。
約12分 約0.9km
この地は玉串川のあとを開墾された帯状の土地で、宝永2年(1705)「山本新田」(開拓者2名の名前:山中正永、本山重英)と呼ばれました。神社は享保元年(1716)新田の鎮守として、石清水八幡宮から勧請されたものと伝えられ、境内には一対の灯篭があります。
玉串川の桜並木は、近鉄河内山本駅から北側2キロメートルと南側3キロメートルの川沿いに続いています。
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手作りのパン工房で販売と店内で飲食ができます。
「YAO COLLECTION 2011」(愛称:八尾コレ 2011)『玉串川の桜並木』で「八尾コレ」グランプリ賞を受賞しました。
約1分 約0.1km
この付近には、宝永元年(1704)の大和川付替えによって開発された山本新田の会所がありました。新田の名称は工事を請け負った山中善太夫と本山右衛門の両家の姓をとってつけられました。その後
、新田は住友吉左衛門に譲られ、昭和15年(1940)まで住友財閥関係の会社によって所有されていました。
明治6年(1873)、新田会所内に河内第41番小学校が設けられましたが、その後移転と改称を繰り返し、昭和23年に山本小学校となって現在に至っています。
また、力石が置かれていますが、もとは恩智にあったもののようです。力石は、俵型の石で80~100kgあり、力比べをして競い合ったようです。
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約1分 約0.1km
もとは山本橋の北西角にありましたが、道路拡幅工事のため移設されました。
正方形の台座の上に高さ70cm、幅36cmの舟形光背に像高42cmの半伽相の地蔵石仏です。台石に「右信貴山、左立石越、文化6年(1809)10月建立俗名三太塚」と彫られています。道標を兼ねた石仏で、常時菅笠をかぶっている地蔵です。隣にもう一体、石仏が並んでいます。
また、東へ300m程行くと住吉神社があります。こちらは住吉三神を祀る村社です。
約5分 約0.4km
比叡山の天台宗総本山延暦寺の末で、作家・政治家の今東光が昭和26年(1951)12月から昭和50年(1975)3月までの約23年間住職を務めたことで知られています。その間に河内を舞台に「悪名」「河内風土記」「お吟さま」のなどの数々の名作を生みました。
約12分 約0.9km
江戸時代前期の阿弥陀像です。
お堂の前の道は垣内の元善光寺への参詣道で、浄瑠璃「摂州合邦ケ辻」に登場する俊徳丸が四天王寺からここまで帰ってくると、空が白らんできたということから「シラミ地蔵」と呼ばれました。
約5分 約0.6km
この地は三野郷といい、旧大和川堤防跡、御野懸主池、上之島用水親井戸が有名です。
三野県主一族の祖神、角凝魂命・天湯川田奈命を祀る延喜式内社です。三野郷と呼ばれてきたこの地一帯は、古代のヤマト王権の直轄地といわれる県がおかれていた土地です。三野県主氏はこの県の管掌氏族で、有力な氏族の一つでした。中世この地は玉櫛庄となり、正和3年(1314)に七条院領美濃勅旨田として永禄8年(1565)に美濃勅旨本役六百文が八尾常光寺に寄進された記録があります。
福万寺、上之島一帯は条里割がよく残り、その境界は、高安郡条里と河内郡条里の境に位置しています。この付近は、玉櫛荘と呼ばれた摂関家の荘園跡です。昭和57年(1982)、上之島小学校の建設にあたり発掘調査を実施したところ、鎌倉時代の武士の屋敷跡や道路などの遺構が検出され、中国製磁器(じき)や鏃、刀、宋銭、硯(すずり)などが出土しました。
約16分 約1.3km
祭神は、天照大神、八幡大神、春日大神です。三十八の名前がついた神社は、役行者が八幡、春日、賀茂など三十八の神を祀つたことが始まりといわれ、畿内から四国にかけてみられます。神社辺りは、佐々木盛綱の八世孫である佐々木二郎盛恵が築いた福万寺城跡と伝えられますが、詳しいことはわかっていません。
約4分 約0.3km
この橋は平野と大和の竜田を結ぶ十三街道が、恩智川を超えるために架けられていた石橋です。明治9年(1876)に造られましたが、昭和48年(1973)に付け替えられ、板石と欄干部分が保存されています。また、新しい橋の傍らには、寛政12年(1800)に橋を架けかえた際の由来を記した九曜碑が残されています。
約26分 約2.1km
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大正14年(1925)に大阪電気鉄道(現在の近鉄大阪線)の線路が延伸開業し、「河内山本」駅が開業しました。
バスは、「近鉄花園駅前」行きが玉串川沿いの北方面で、「近鉄山本駅前」行きが南方面になります。
約49分 約3.9km
※見物時間、休憩、及び直売所・施設・お店などの時間は含まれておりません。
※坂道の負荷時間は含んでいません。
※1分/80mを基準としています。
この直売所は、「JA大阪中河内農産物直売所 畑のつづき」です。
野菜、くだもの、米、ジャム・味噌などの加工品 切花、花壇苗。八尾特産「若ごぼう」(1月中旬~)、「えだまめ」(6月上旬~)も販売しています。
営業は月~土の午前9:30~15:30、日曜日は休業です。
開業年数:2008年オープンし、生産者の方々に作付けや薬剤の使用等の確認指導を行った、安心、新鮮な作物を取り扱うお店です。
約8分 約0.6km
昔、この付近には矢無田村があったので、その名が残っています。
大阪城築城の積残し石に仏像が彫られ、持ち帰り祀ったと言われています。
花崗岩製。
高さ104cm、幅52cmの船形光背、像高76cm、幅26m、厚さ8cmの地蔵立像。
約12分 約0.9km
この地は玉串川を開墾された帯状の土地で、宝永2年(1705)「山本新田」(開拓者2名の名前:山中正永、本山重英)となり、山本八幡宮に一対の灯籠にあります。
神社は享保元年(1716)新田の鎮守として、石清水八幡宮から勧請されたものと伝えられます。
玉串川の桜並木の石板は、八幡宮の正面鳥居の川沿いにあります。桜並木は、近鉄河内山本駅から北側2キロメートルと南側3キロメートル(合わせて川筋5km)に続いています。
約1分 約0.1km
宝永5年(1708)検地を受け、この地は開拓者山中・本山の姓を取り「山本新田」となり、経営管理した会所跡、山本小学校の前身(河内第四十番小学校)の地、恩智神社から運ばれた力石(約80kg~100kg)があり力くらべを楽しんだようです。
開庁時間は平日の午前8時45分~午後5時15分です。
(休業日) 土・日曜日、祝日、年末年始(12月30日から翌年1月4日まで)
駐車場や駐輪場があります。
約1分 約0.1km
約1分 約0.1km
紫雲山天台院(比叡山の天台宗総本山延暦寺の末)で、特に作家の今東光が特命住職(昭和26年)となり、作家・政治家で24年間に河内を舞台に「悪名」「河内風土記」「お吟さま」のなどの数々の名作を生みました。
当寺は木造で、記念碑があります。(「東光太平記」の昌頭)
江戸時代前期の阿弥陀像です。
垣内の元善光寺や「俊徳丸伝説」の参道で知られています。
俊徳丸が四天王寺からここまで帰ってくると、空が白らんできたということから「シラミ地蔵」と呼ばれました。
約14分 約1.1km
約12分 約1.0km
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