全国的に有名な八尾の高安古墳群を楽しく散策します。
※高安古墳群の特長
①6世紀代に、生駒西麓に造られた、300基以上の横穴式石室墳が集中する古墳群です。
服部川・山畑・大窪・郡川の地域に集中して造られており、この地域は「高安千塚」ともいわれています。6世紀は、聖徳太子や蘇我馬子(そがのうまこ)・物部守屋(もののべのもりや)が歴史に登場する時代です。
②全国的にも群を抜いて大きい横穴式石室を持つ古墳群です。
河内という政治の中心近くにあって、大きな権力をもった豪族の墓域であったと考えられます。
③明治時代に多くの研究者(大森貝塚を発見した博物学者E・S・モースや日本考古学の父といわれるW・ガウランドをはじめとする著名な外国人研究者たち)が訪れ、いち早く海外に紹介された古墳群です。
約75分 約6.0km
※見物時間、休憩、及び直売所・施設・お店などの時間は含まれておりません。
※坂道の負荷時間は含んでいません。
※1分/80mを基準としています。
祭神は誉田別命(ほんだわけのみこと)・菅原道真。
明治7年(1874)に玉祖神社に合祀されましたが、戦後、旧地に遷座しました。
境内には、弘化3年に「楽人(ぎょうざん)」上人」が発願した地蔵石仏があります。
奥の社殿前の狛犬は天保11年に造られたものです。
約8分 約0.7km
古墳時代後期(6世紀)に造られた横穴式石室の古墳ですが、当地が謡曲弱法師(よろほうし)、浄瑠璃摂州合邦ヶ辻(がっぽうがつじ)で名高い俊徳丸の故地とされていることから、俊徳丸の墓とされてきたようです。
この古墳には、こういったいわれから、明治から昭和にかけて活躍した歌舞伎役者が寄進したさまざまな石造物【実川延若(じつかわえんじゃく)寄進の焼香台・七代目松本幸四郎寄進の手水鉢・六代目尾上菊五郎寄進の灯籠の石】があります。…内部見学可
山畑地区の産土神(うぶすながみ)、祭神は佐麻多度大神です。
境内の右手側には末社の山畑神社と山畑八幡宮があります。
境内には、力石あるいはさし石とも呼ばれる石があり、村の青年がこの石を持ち上げて力くらべをしました。
宝積寺境内に地蔵堂があります。
舟形光背(ふながたこうはい)をつくり、蓮華座に立つ錫杖(しょくじょう)宝珠(ほうじゅ)を持つ地蔵立像です。
円光背があり、衣の衣文線も美しい、よく保存された石仏(室町時代後期)です。
詳細をみる
神立北から十三街道を越え、玉祖神社・芝塚古墳跡・来迎寺・神光寺へ繋がる農免農道。
四季折々の自然に囲まれています。
道路からの眺めはよく、晴れた日には六甲の山並や大阪湾が見えます。
約23分 約1.9km
最も古墳が集中する「高安千塚」地域の北側、来迎寺の墓地にあります。
7世紀初め頃の円墳と考えられ、横穴式石室の玄室の石材が失われ、羨道のみがトンネル状に残っていることから、「抜塚」と呼ばれています。
高安古墳群最大の横穴式石室である郡川地区の市史跡開山塚古墳と同等規模であったと考えられ、高安古墳群の中でも最有力者層の墓の一つです。(市指定史跡)内部見学可
約8分 約0.6km
6世紀後半頃に造られた古墳です。
石室は、右肩袖式の玄室を2個つないだ構造で、全国的にも類例のない貴重な物です。
また、明治時代に「日本考古学の父」といわれる英国人ウィリアム・ガウランドが、米国人ロマイン・ヒッチコックと共に、ガラス乾板による写真撮影を行い、「双室ドルメン」として海外にも紹介されました(市指定史跡)。外から見学可(内部見学可)
享保年間に万徹(まんてつ)和尚の開基で、薬師如来が本尊です。
風景よく参道には桜並木があり、桜の名所として知られています。
墓地には、江戸時代の学問所である懐徳堂(かいとくどう)や含翆堂(がんすいどう)創始者らのお墓があります。
光明寺の山門入り口の地蔵堂に置かれています。
室町時代末期のものと思われます。
名号板碑(めようごういたひ)は片麻岩製。
中央に南無阿弥陀仏の六字名号があり、その下に多数の法名が刻まれています。
河内西国巡礼三十三か所:客番です。
板の門扉に、素晴らしい一対の仁王が彫られています。
境内には、市内では珍しい線刻地蔵や、寺院の前方に、長者屋敷に出入りした人々が馬を洗ったと伝える馬洗池があります。
河内西国巡礼三十三か所:十八番です。
約18分 約1.4km
江戸時代に法蔵寺を開いた好山(こうざん)和尚の廟塔である清涼塔が、古墳の背後にあることから開山塚と呼ばれています。6世紀中頃に造られた古墳で、高安古墳群中、最大の両袖式の横穴式石室墳です。また、明治時代に大森貝塚を発見した米国人の博物学者、エドワード・S・モースが調査、欧米の学界にいち早く紹介された考古学史上も重要な役割を果たした古墳です。(市指定史跡)…内部見学可(2~4号墳 外から見学可)
約14分 約1.1km
本照寺の境内にある6世紀後半の古墳です。
両袖式の石室で、玄室の平面形状が正方形をしていることが特徴的です。
妙道窟(みょうどうくつ)として祀られているので、見学前に本照寺に声をかけてください。…内部見学可
初代芳沢あやめは、歌舞伎の女形芸を大成した江戸時代元禄期の代表的歌舞伎役者です。
また初代あやめの三男は、現代に名跡が続く初代中村富十郎です。
本照寺手前の四つ角には芳沢あやめの石板があります。
約4分 約0.3km
〒581-0802 大阪府八尾市北本町2丁目1番 ペントプラザ20号 TEL 072-997-6226 FAX 072-983-6224 Copyright(C) Yao City Tourism Association All rights reserved.