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神社・仏閣

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社殿

てんのうしゃ
天王社

創祀 世紀三二三年(皇紀九八三年)仁徳帝の御代鎮座 一、祭神 本殿は須佐男命 (別名)牛頭天王  金比羅社(右)大國主命 事代主命 稲荷社(左)櫛名多比賣命 右は河内風土記に據る【出典:『木製説明板』(郡川地區会、1982年)】

鳥居

ながらじんじゃ
式内社 長柄神社

旧信貴道に面した長柄神社は、旧庄内村と東郷村の境にあり、祭神は事代主命(ことしろぬしのみこと)で、別に八言(やえ)事代主神とも言われ、大国主命の子とされている。古くから、小守勝手宮(こもりかってのみや)と呼ばれ、神の託宣(お告げ)をする神社と言われていた。延喜式の制に列し、祈年祭に鍬一口を加えられた由緒ある神社である。明治四十年十月九日、矢作(やはぎ)神社に合祀され、社域には、今も古木が残っている。【出典:『史跡の道・説明石板』(八尾菊花ライオンズクラブ・八尾市教育委員会、松岡裕子 書、1994年)】

*石板の説明には一部現状と異なる場合があります。

本殿

にしごおりはいじあと
西郡廃寺址

境内の手水鉢は西郡寺の塔刹柱礎石である。この地は綿織連の居住地で、その寺院の地といわれ、八間堂の字名がある。塔心礎は、高さ六〇センチ、縦一二〇センチ、横一六〇センチの自然石の中央に直径六七センチ、深さ三七センチの柱穴があり、その中央に直径二一センチ、深さ一八センチの舎利孔がある。白鳳時代に属し、昭和四九年大阪府から考古資料として指定された。 またこの境内から鎌倉時代の石灯籠の台座も出土した。【出典『史跡の道・説明石板』(八尾市・八尾郷土文化推進協議会・八尾菊花ライオンズクラブ・八尾市教育委員会、1983年)】

*石板の説明には一部現状と異なる場合があります。

本堂

ねんぶつじ
念佛寺

当寺は龍興山金剛乘院念佛寺と云い、融通念仏宗に属します。暦応四年、(一三四一)辛己八月、盤龍上人によって創建されました。 本堂は落慶に融通念仏宗の中興上人法明和尚の霊跡があり、宗門きっての古刹です。もと、この寺院は聖徳太子の建立した久宝寺の末院で、念佛勧進聖堂場として栄えていたのをのち、聖僧の盤龍が今の地域に定めて本堂を建てたと伝えられています。聖徳太子作と伝わる十一面観音菩薩・不動尊もお祀りしています。また、河内西国霊場第二番札所でもあります。
(年中行事)
  二月三日、節分会護摩法要(星祭り)
  三月四日 十一尊天得如来 御回在
  八月十七日 お盆施餓鬼法要
【出典:『念佛寺 説明板』】

山門

ばいがんじ
梅岩寺

寿福山梅岩寺は黄檗宗万福寺末で、聖観音を本尊とする。もとは教興寺の塔頭であったといわれ同寺の古瓦が庫裡後方の畑地から出土した。山門の寿福山の額は隠元禅師の筆である。 本堂北方の國見台からは摂津河内の平野が一望にみられ、また境内には横穴式古墳があり春は桜の名所として名高い。【出典:『史跡の道・説明石板』(八尾郷土文化推進協議会・八尾菊花ライオンズクラブ・八尾市教育委員会、1980年)】

*石板の説明には一部現状と異なる場合があります。

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