本文へジャンプ

神社・仏閣

並び順を戻す

時代で絞り込む:

【76件中 36~40を表示しています。全16ページ】 前ページへ 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 次ページへ

しんかんじ
真観寺

臨済宗南禅寺派金地院末で、地蔵盆で名高い常光寺(本町)とは兄弟寺である。応永元年(一三九四)管領畠山尾張守満家の願いで、叔父の南禅寺大業徳基禅師が開山した。 大坂夏の陣で伽藍が焼失したが金地院崇伝が再興、その後江戸時代に再び焼失した。戦国時代の古文書、徳川歴代将軍の朱印状があり、境内には細川晴元の執筆で河内国ほか七ヵ国を支配していた三好長慶の墓がある。古くは寺院の周辺に真観寺薮と称された薮と築地(土べい)があった。【出典:『史跡の道・説明石板』(八尾郷土文化推進協議会・八尾菊花ライオンズクラブ・八尾市教育委員会、1983年)】

*石板の説明には一部現状と異なる場合があります。

正門

じんぐうじ
神宮寺(服部川)

神宮寺は貞享年間(1684~1688年)に創建された臨済宗妙心寺派の禅寺である。境内は四季折々に色づく花々、大樹に包まれている。「自然のまま」との住職の思いを映した境内墓地は、河内西國巡礼の巡拝の人々や、春秋の彼岸には檀信徒が法要に集まり、にぎわいをみせる。境内墓地の入口近くに「西向き地蔵」と呼ばれる「線彫り地蔵」がある。山門西側には樹齢500年に及ぶ楠の大木が社を守り、地域鎮守を担ってる。【出典:『神宮寺について』を参考】

正門

じんぐうじ かんのういん
神宮寺 感応院

天川山感応院と称し真言宗高野山普門院末。古くは恩智神社の神宮寺として神社の境内にあった。 本尊の十一面観音像は国の重要文化財また絹本着色不動明王像は府の重要美術品としてそれぞれ指定されており、慈雲尊者裏書の十六善神像など寺宝が多い。 本堂の内庭は僧愛石の作と伝えられている。【出典:『史跡の道・説明石板』(八尾郷土文化推進協議会・八尾菊花ライオンズクラブ・八尾市教育委員会、1980年)】
*ご本尊は不動明王です。

*説明には一部現状と異なる場合があります。

正門

じんこうじ
神光寺

服部川の東方山腹にあり、谷一つ隔てて、郡川の法蔵寺に相対する。医王山薬師院神光寺と称し、曹洞宗蔭涼寺末である。享保年間(18世紀初め)に万徹和尚の開基で、薬師如来を本尊とし、本堂前に揚げてある“天玄堂”の扁額は、徳川光圀の帰依した東皇心越の書である。風景よく、参道には桜並木があり、桜の名所として知られ、春の花時には非常に賑わいを見せる。また付近一帯は、横穴式石室の後期古墳の群集地で、至る所に古墳がみられる。山門前には、懐徳堂、含翆堂創始者らの墓所を示す標石がある。【出典:『八尾の史跡』(棚橋利光・八尾市市長公室 市政情報課・八尾市郷土文化研究会、1999年)】

本殿

すみよしじんじゃ
住吉神社

当神社は住吉三紳を祀る村社であり、遠く延享年間(1740年代)の昔より村の守護神であり氏神様でした【出典:『寄進名簿石板』より】

【76件中 36~40を表示しています。全16ページ】 前ページへ 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 次ページへ

このページのトップへ