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神社・仏閣

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鳥居

おおたはちまんぐう
太田八幡宮

太田地区の氏神で、もと免田神社と言った。免田は字名。品陀別命を祀る。【出典:『八尾の史跡』(棚橋利光著・八尾市市長公室市政情報課・八尾市郷土文化研究会1998年)】より抜粋

薗光寺正門

おんこうじ
薗光寺

もとは玉祖神社の神宮寺で、神社のそばにありました。境内には高さ122㎝、幅62㎝の砂岩で作った十三仏の石造があります。下部には14人の女人の法名が刻んであり、十三仏信仰の女人講によって建立されたと考えられます。建立年代は記されていませんが、作風から桃山時代と考えられます。【出典:『中河内歴史探訪の道』(中河内地域広域行政推進協議会・八尾市教育委員会、2006年)】

社殿

おんぢじんじゃ
恩智神社

式内社でもと天児屋根命をまつったが枚岡神社に遷座の後は五世の孫大御食津彦命、大御食津姫命をまつる。河内の二の宮で元春日と称されている。当社は初め天王の森にあったが恩智城を築くにあたり現地へ移したと伝えられる。 古くからお粥占や茅巻の神事が行われ社殿裏には横穴式古墳があり北辺の垣内山は銅鐸出土地として名高い。【出典:『史跡の道・説明石板』(八尾郷土文化推進協議会・八尾菊花ライオンズクラブ・八尾市教育委員会、1980年)】

*石板の説明には一部現状と異なる場合があります。

鳥居

かしむらいなりじんじゃ
柏村稲荷神社

柏村稲荷神社由来:古来この辺りは旧大和川が流れていたが、たび重なる洪水により附近の人々は大へんな災害を蒙るので当時川筋に当る今米の庄屋中甚兵衛親子二代が五十年間幕府に訴えつづけ、遂に許可を得て現在の大和川に付替えられたのが、宝永元年(一七〇四)で二八一年前のことである。そこで旧川の川床や沼地を三年がかりで開墾し24町歩余りの新田とされたのが大田村の柏原仁兵衛芳次で爾耒同氏を偲び柏村新田と称えられる。起工を決意した仁兵衛は直に伏見稲荷神社に詣で御分霊を勧請してこの地に奉祀された。工事の完工は勿論、住民の家内安全、五穀豊穣を祈願され別名白姫神社とも称されるが、祭神は倉稲魂神と申し柏村の鎮守社として崇敬されている。【出典:説明石板』(柏村稲荷神社世話人、1985年)】

祭場

かづらじんじゃ
式内社 加津良神社

この加津良神社は「河内名所図会」では萱振村にありとしている。祭神は素戔嗚(すさのお)命であるが、現在は牛頭天王(ごずてんのう)と称している。疫病を治める神として祀られた。貞観九(八六七)年二月二十六日官社となる。昔は社地が広く、宮跡、神道森、鳥居、西松馬場などの地名が残っている。明治四十一年、栗栖(くるす)神社に合祀されたが戦後復活した【出典:『史跡の道・説明石板』(八尾郷土文化推進協議会・八尾菊花ライオンズクラブ・八尾市教育委員会、1994年)】

*石板の説明には一部現状と異なる場合があります。

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