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神社・仏閣

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本堂

しぶかわじぞうそん
渋川地蔵尊

由緒―元文三年(西暦1738)再建 天力明五年三月、文化十三年四月 明治二十九年五月、昭和三年八月、昭和五十四年十一月復旧工事 平成七年八月吉祥新築

鳥居

しぶかわじんじゃ
渋川神社

式内社で天忍穂耳命・饒速日命をまつる。もとは長瀬川の東岸にあったが、天文二年(一五三三)の大洪水で流失、元亀三年(一五七二)現地へ移されたという。 この地一帯は、物部氏の住地でこの社は古くは竜華寺の鎮守であったという。鳥居前の観音堂はむかしの宮寺の一部で、境内にある樹齢一千年という大樟樹は、玉祖神社(神立)善光寺(垣内)のそれとともに大阪府指定の天然記念物である。【出典:『史跡の道・説明石板』(八尾郷土文化推進協議会・八尾菊花ライオンズクラブ・八尾市教育委員会、1983年)】

*石板の説明には一部現状と異なる場合があります。

鳥居

しぶかわはいじあと
渋川廃寺址

渋川天神社は素盞嗚命、菅原道真を祀る古社である。神社の南西の地は、白鳳時代に渋川寺のあったところで、昭和十年ごろ国鉄の竜華操車場を開設工事のとき、多数の単弁八葉や忍冬唐草紋の瓦及び塔心礎が出土した。また一説にはこの附近は物部守屋の別業の地でそこに渋川寺があったともいわれている。仏教崇拝抗争や古代の仏教を再検討すべき課題を提起している寺址である。 【出典:『史跡の道・説明石板』(八尾市教育委員会、1987年)】(石板の裏面が見えず、出典者等確認出来ず)

釈迦寺山碑

しゃかでらやま
釈迦寺山

ここは釈迦寺と称する寺址で最近までは高さ一メートル周囲六メートル四方の土壇に現存する石碑と五輪塔が祀られてあった。亀井の古刹真観寺文書によれば畠山昭高の創建とあるが、文永五年(一二六八)八月大和西大寺の叡尊上人が同寺の末寺であった千光寺の釈迦堂にて十重禁戒を講じ、六百五十人に菩薩戒を授けたことからその遺址とも考えられる。附近から鎌倉・室町時代の古瓦片が出土する。【出典:『史跡の道・説明石板』(八尾市教育委員会、1987年)】

*石板の説明には一部現状と異なる場合があります。

石板

じゅうさんかいどう
十三街道

十三街道は大阪玉造から十三峠までの道で大阪から竜田、奈良へ通う道として、また、山腹にある水呑地蔵さんへの参詣道として多くの人達に利用された重要な街道であった。ここにある道標はもと桂解放会館の東側あったもので、もとの場所は会館前で道が二回曲っていたため、二本の道標で、道案内をしていたが、道路整備の際にここに移されてきたものである。この道標は建立者の父の五十回忌の供養に建てられたもので、供養塔と、記されたものとしては市内で唯一の貴重なものである。【出典『史跡の道・説明石板』八尾市・八尾郷土文化推進協議会・八尾菊花ライオンズクラブ・八尾市教育委員会、1984年】

*石板の説明には一部現状と異なる場合があります。

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