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けんしょうじ ながやもん・ふぞくにしながや、ひがしながや、わたろう
顕証寺 長屋門・附属西長、東長屋、渡廊

顕証寺は、本願寺の蓮如上人の子息や一門が、各地に布教の拠点とした御坊格寺院(ごぼうかくじいん)のなかでも中核寺院です。東面する本堂の正面に表門と築地塀があり、北側は、現在通用口となる長屋門と築地を兼用する「西長屋」があり、本堂と「東長屋」をつなぐ「渡廊」があります。
 改造や補修が加えられている部分があるものの、江戸時代中期の建造物として、当初の材や構造が残っており、平成18年度から修理整備事業を行いました。
 本堂で行われる公的な法会等で使用されるのに対し、日常的に使用された部分で、東長屋の一部には、カマドのある台所であったことを示す痕跡が残されており、東長屋の東端の間は、茶所であった可能性があります。
 御坊格寺院の外側をめぐる施設が、現在まで残っている寺院は、西本願寺・東本願寺がその典型ですが、各地の御坊格寺院では、付属施設を完備していない寺院もあります。顕証寺の北側と西側の通りに面する東長屋、長屋門・附属西長屋が続き、寺内町の歴史的景観を残しています。
[八尾市指定文化財:平成18年3月20日指定]

けんしょうじ りょうわきついじべい
顕証寺 表門・両脇築地塀

顕証寺は、久宝寺寺内町に位置し、浄土真宗本願寺派で「久宝寺御坊」ともよばれています。表門は、境内の東側正面に位置し、屋根は切妻(きりづま)造、本瓦葺(ほんがわらぶき)の四脚門で、前後に軒唐破風を付けています。切妻造の本瓦葺の築地塀は、表門が築地塀に対し境内側に位置するために鍵の字に折れて表門両脇に付いています。
明治時代の建立と考えられていた表門は、建立年代を示す棟札の発見により、寛政元年(1789)の再建で、正徳六年(1716)に建立された本堂に続いて、本願寺直系の正統的な大工が、顕証寺表門を造作したことが明らかになりました。
 また、表門の棟梁は、寛政十年(1798)に再建された摂津富田の寺内町の中核寺院で「富田御坊」と呼ばれる高槻市本照寺の表門と同じ大工であることから、相互の関連性がうかがえます。
 享和元年(1801)の「河内名所図会」に描かれた顕証寺の伽藍と比較すると、本堂、表門、築地塀、長屋、長屋門、渡廊は現在の位置に見ることができ、顕証寺の外郭施設を構成する遺構として現存する表門と築地塀は、寺内町の御坊としての格式を示すとともに町並の景観に寄与しています。
[八尾市指定文化財:平成19年12月12日指定]

境内

ぜんこうじ
善光寺

不断山善光寺と称し一光三尊の阿弥陀如来を本尊とする。元善光寺ともいい、本田善光が難波の堀江に於いて仏像を感得し、信濃へ帰る途中ここに一泊し、まずその分身をまつり庵をたて翌年再び訪れて当寺を建立したものと伝える。 境内には府天然記念物の大樟樹があり不断梅、信濃柿とともに三名木としてその由緒を語るものがある。 毎年四月、九月の十六日には盛大なお通夜行事が行われ翌朝ご本尊の開帳がある。【出典:『史跡の道・説明石板』(八尾郷土文化推進協議会・八尾菊花ライオンズクラブ・八尾市教育委員会、1980年)】
  
*石板の説明には一部現状と異なる場合があります。

現場風景

くすのきいなりだいみょうじん
楠稲荷大明神

服部川に鎮座する。神社沿いの池・鳥居の赤・大きなくすのきの緑のコントラストが美しい神社です。境内にそびえるくすのきは、八尾市指定の保全樹木です。他にも祠が二つあります。

鳥居

やはぎじんじゃ
矢作神社

別宮八幡ともいわれ、式内社で経津主命をまつる。 この地一帯は古くから矢作連の居住地で、その祖神をまつったものである。石鳥居には「矢作神社」とあり、境内の石灯篭には「八幡宮」となっている。 境内には慶長十四年(一六〇九)銘の経碑がある。東方の田んぼのなかに塚があり、この附近から室町時代の古瓦片が出土した。【出典:『史跡の道・説明石板』(八尾市郷土文化推進協議会・八尾菊花ライオンズクラブ・八尾市教育委員会、1983年)】

*石板の説明には一部現状と異なる場合があります。

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