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説明板

ふくえいばし
福栄橋

この石橋は福栄橋とよばれ、大坂の玉造から若江、福万寺をへて大和の竜田を結ぶ十三街道の恩智川を渡るために架かっていました。かって、この橋があった西側には寛政12年(1800)に福万寺の人々が建てた橋の供養碑が残されています。 碑には、大雨による洪水で橋が流失したので、新しく再建したことが記されています。 橋に感謝して建てられた供養碑としては市内で唯一のものです。 ここに保存されている石橋は、明治9年4月(1876)に造られたものですが、昭和48年(1973)の恩智川改修工事の際に橋が付け替えられ、橋脚部分を除いた板石と高欄部分が残されています。 【出典:『ステンレス製説明板』(八尾市教育委員会 2008年)】

*説明には一部現状と異なる場合がありま

ふるぐちじぞうそん
古口地蔵尊

寺内町北西の出入り口にある。地蔵堂は宝形造りの立派なものである。歯痛に霊験あると云う。像は高さ30cm、幅25cmの舟形光背に像高25cmの坐像である。【出典:八尾市史紀要第10号『八尾の石仏』(谷野浩著・八尾市教育委員会文化財室1987年)より抜粋】

地蔵堂

ほうりゅうじ えいろくじぞう
法立寺 永禄地蔵

融通念仏宗法立寺の下にある辻地蔵堂にある。高さ110㎝、幅56㎝の花崗岩に像高73㎝の地蔵立像を半肉彫にしている。美しく優雅な像容である。像の左右に次の銘文が陰刻されている。地蔵講一結衆本□衆 永禄十二年巳十月廿四日地蔵講の人々が造立したことがわかる。なお、この永禄地蔵堂内に元和の線刻地蔵がある。これは高さ30.5㎝、幅19㎝ほどの方形の板石に、像高15㎝の地蔵立像を線刻したものである。像の左右に、妙尼 元和四年とある。【出典:『八尾の史跡』(棚橋利光・八尾市市長公室 市政情報課・八尾市郷土文化研究会、1999年)】 

水呑地蔵

みずのみじぞう
水呑地蔵

承知三(八三六)年、僧壱演がここに地蔵菩薩を安置して堂宇を設けたという。 本堂の南側に小祠があり、石地蔵の前に二つのつぼがある、こんこんと清水がわいていて、俗に「弘法水」という弘法大使が山麓から急坂を登って、このすぐ上の十三峠を越える旅人のために祈願して得た霊水という。 飲料水として、また脚気などの諸病にも効験あるといわれ参詣者がたえない この地は桜の名所として名高い。【出典:『史跡の道・説明石板』(八尾郷土文化推進協議会・八尾菊花ライオンズクラブ・八尾市教育委員会、1981年)】

※石板の説明には一部現状と異なる場合があります。
※現在は生水は飲めません。

目ナシ地蔵

めなしじぞう
目ナシ地蔵

街道交点の東に恩智神社石鳥居があり、そのすぐ東に自然石のままの「目ナシ地蔵」がある。一説に恩智城の見付石といわれている。今はここに地蔵としてまつられている。【出典:『八尾の史跡』(棚橋利光・八尾市市長公室 市政情報課・八尾市郷土文化研究会、1999年)を参考】

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