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神社・仏閣

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鳥居

やおてんまんぐう
八尾天満宮

八尾寺内町の鎮守で、「八尾の天神さん」といわれる。祭神は天穂日命と菅原道真で、慶長年間に片桐且元が創建したといわれている。 中門は寺内町の木戸門を移建したものと伝えられ、また境内には寺内町開発者森本行誓の六代の孫房吉寄進の灯篭がある。近年は恵比須神をまつり、一月八日は例年「八日戎」としてにぎあう。  【出典:『史跡の道・説明石板』(八尾市郷土文化推進協議会・八尾菊花ライオンズクラブ・八尾市教育委員会、1983年)】

*説明には一部現状と異なる場合があります。

本殿

あのうじんじゃ、はいせんがんじあと
穴太神社、廃千眼寺跡

当地域は安康天皇の設けられた穴穂部の地、聖徳太子の生母間人穴太部皇后の成人の地といわれる。当社は古代氏族穴太氏の一族の祖紳を祭る産土神で、境内に残る寺跡はその氏寺であつたと考えられる。同寺は河内鑑名所記、和漢三才図会に名刹千眼寺として紹介されている。この社の付近一帯はそのむかし大集落の繁栄がうかがわれこれまで奈良時代から室町にかけて住居跡の埋没が確認され 昭和五六年の調査では多くの遺物が発掘されている.【出典『史跡の道・説明石板』八尾市・八尾郷土文化推進協議会・八尾市教育委員会、1982年】

*石板の説明には一部現状と異なる場合があります。

門前

ぜんりゅうじ
善立寺

浄土真宗本願寺派の寺院である。江戸時代、八尾木村総道場善立寺といった。寛延2年(1749)ころ、八尾木村の木綿屋利右衛門の娘おしもという人がいて、大変信仰の厚い人ということで、「妙好伝」(1842)という浄土真宗の信者の伝記に載るという。天文22年(1553)3月10日、京都の公家三条西公条は、信貴山から八尾木の金剛蓮華寺に詣で、村人からここ八尾というところは鶯の名所で、普通12枚重ねの尾がここは8枚重ねで優れているよしを聞いた。(吉野詣記)。 この金剛蓮華寺は、善立寺の付近、小字の地名に大門、堂の前、婆々泣(ばばなき)、焼垣内(やきかいと)などがあり、この付近にあったのではないかと考えられている。 【出典:『八尾の史跡』(棚橋利光・八尾市市長公室・八尾市郷土文化研究会、1998年)より抜粋】

鳥居

おおかわじんじゃ
太川神社

由緒
 太川神社は太子堂中央字高見に鎮座(現在地八尾市南太子堂六丁目拾壱番地)太子堂は聖徳太子縁の古き地にして神社の建立亦古し創建の年代は詳らかならざるも古来より當領水域一円を潤す太川の名に因み太川神社と称え奉る。御祭神の素戔嗚命は災難、厄除け招福の神として勇氣と活力を授け給い保食神は五穀豊穣と商賣繁昌に靈驗灼かなり。舊大和川、太川は太古より洪水の歴史を繰り返し、寶永元年(西暦一七〇四年)現在の大和川に川違えせらる。翌寶永二年旱魃起り以来村民水飢饉に苦しみ、厄除けの爲神社に参籠とんどを行い御祭神に祈願せり、その後惡疫水災害の憂いもなく平穏安泰となり住民遍く神の御恵みに浴し太子堂の氏神として崇敬篤く現在に至る。明治五年村社に列し、同年本地の稲荷社を合祀せり。【出典:『説明木板』(1983年)】

正面

きづきじんじゃ(おいはら)
杵築神社(老原)

杵築神社
御祭神
 主祭神 素戔嗚尊(すさのをのみこと)(五穀豊穣・厄病祓の神)
 相殿神 天児屋命(あめのこやねのみこと)(融和の神)
     天満天神(てんまてんじん)(学問と農耕の水の神)
     塩椎神(しおつちのかみ)(陸海路守護の神)
     白山媛命(しらやまひめのみこと)(心の和の神)
摂社
 皇大神宮
     天照大神(あまてらすおおみかみ)(皇室の祖神)
     豊受大神(とようのおおかみ)(五穀を司る神)
末社 
 稲荷神社 
     宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)(各種産業の神)
沿革
 神社創建の年代は不明である。往古、大和川は八尾の地を北流し、旧淀川に合流して大阪湾に注いでいた。当時は度々洪水が起りこの地の住民は塗炭の苦しみを受けていたので、小祠を建立し神のご加護を願ったのが始と云われている。宝永元年(一七〇四)大和川の付替工事が完成し、以降洪水の被害も無く、平穏安泰の地となったので住民達は神恩を感謝して新しく社殿を建立し、こヽに東老原村の氏神としての杵築神社の誕生を見ることになる。時に安永五年(一七七六)。明治四年(一八七一)太政官布告によって村社に列せられる。次いで明治三十九年(一九〇六)神社合祀令が発布され、道明寺村郷社土師神社に合祀される。大正十二年(一九二三)村民の寄進によって社殿の修理、境内の整備を行い、御神体を迎え旧に復して現在に至る。然し乍ら、幾星霜の歳月を経て社殿の損傷甚だしきため、此度氏子中の奉賛を得て、茲に本殿・拝殿並びに社務所を修造し奉る。平成十三年三月吉日 【出典:『説明銅板』(杵築神社修復実行委員会2001年)】

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