本文へジャンプ

神社・仏閣

五十音順に並べ替える

時代で絞り込む:

【76件中 61~65を表示しています。全16ページ】 前ページへ 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 次ページへ

門前

めいえんじ
明圓寺

明圓寺は淡海山と号し浄土真宗西本願寺末にして阿弥陀仏を本尊とする。建久三年(一一九二年)源三位佐々木秀義の四男である佐々木高綱の開基である。当時は、成法寺村にあり真言宗に属した 天文二年(一五三三年)八世住職佐々木了秀が当所に移転し 天文十年浄土真宗に転じる 『淡海山』は 佐々木家が近江の豪族であったことから『近江』と言う名に由来するものである。【出典:『淡海山明圓寺 開基の由来』説明板】

鳥居

みつるぎじんじゃ
神劔神社

神劔神社は二百二十五年以前の元文元年辰歳国分村反師枩井四郎兵衛らによって造営され素戔嗚命、保食神の二神を祀り田井中村の氏神として永く村民の尊敬を集め弥栄えてきた。往時の旧大和川縁辺に当たる現東老原地区の五条宮跡附近から奈良朝時代の古瓦が発見されたことからみて 田井中村の発祥は極めて古く、從って当社の在史も村発祥の昔にさかのぼるものと思われるが 旧大和川の度々の氾濫により村民は難をのがれるため南に移住し前記の時代に現在地に当社が再建されたと推量される。明治五年村社に列し明治末期神社合併に從い誉田神社の末社として一時期合祀されたが大正十四年十月還御遷宮祭が執り行はれた。昭和二十七年当時の宮司西沢善一氏により宗教法人として神社庁に登録され同時に官有地であった神域も無償で拂下げを受けた。此の度八尾市立志紀小学校防音改築工事に伴い市当局の要請により当社の神域を南北五四米東西十九米から南北十九米東西五四米に改変することとなりこれを機に市負担にて境内を高く盛土し、南向きの神殿拜殿を西向きに移転修復しあわせて鳥居玉垣社務所等の施設を新築整備して当社の往古に優る繁栄と末長き町民へのご加護を祈願しつヽ氏子一同挙げて正遷宮祭を執り行う。【出典:『説明石板』(田井中神社委員会 田井中町議委員会、1976年)】

鳥居

くすもとじんじゃ(きのもと)
樟本神社(木の本)

樟本神社縁起 
 御祭神 布都大神 
 例祭日 七月十五日、十九日
 
由緒 
 当社は式内社である。延喜式に記載されている樟本神社三座の一にして他の二座は南木の本、北木の本に分祀されている。創建の年代は詳かではないが用明天皇の御代(約千四百年前)物部守屋公が本據地である稲村城(現光蓮寺敷地)の守護神として崇めていた布都大神を奉祀されたものと伝えられる。紀・記古伝によると悪疫邪霊を祓い病気平癒又鍬靫を司る農耕・武の神として広く村民の崇敬を受け現在に至っている。樟本神社の社名は往古境内に樟の巨木が茂っていたところからと謂われている。【出典:『樟本神社縁起碑御大禮記念建立・説明石板』(福中清三郎、吉井彰、1990年)】

*説明には一部現状と異なる場合があります。

鳥居

つぶくみじんじゃ
都夫久美神社

延喜式神名帳では小社に列せられており、古代の大豪族物部(もののべ)氏の祖神宇摩志摩治命(うましまじのみこと)を祭神とする。ツブクミという社名は、物部氏の一族積組連(つぶくみのむらじ)に由来する。(新撰姓氏録(しんせんしょうじろく)による)近世頃には香森大明神と呼ばれ社地を中の森と言っていた。この神社の西方には弥生時代の集落址である水越遺跡が広がっており、その関連がうかがえる【出典:『史跡の道・説明石板』(八尾市教育委員会、甲斐房之助 書、1992年)】

*石板の説明には一部現状と異なる場合があります。

鳥居

しぶかわはいじあと
渋川廃寺址

渋川天神社は素盞嗚命、菅原道真を祀る古社である。神社の南西の地は、白鳳時代に渋川寺のあったところで、昭和十年ごろ国鉄の竜華操車場を開設工事のとき、多数の単弁八葉や忍冬唐草紋の瓦及び塔心礎が出土した。また一説にはこの附近は物部守屋の別業の地でそこに渋川寺があったともいわれている。仏教崇拝抗争や古代の仏教を再検討すべき課題を提起している寺址である。 【出典:『史跡の道・説明石板』(八尾市教育委員会、1987年)】(石板の裏面が見えず、出典者等確認出来ず)

【76件中 61~65を表示しています。全16ページ】 前ページへ 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 次ページへ

このページのトップへ