このコースは物部守屋の本拠地(関連する神社5社)を巡ります。
途中旧奈良街道沿いの旧家街を歩きます。
物部守屋と蘇我馬子・聖徳太子との戦いの場と言い伝えられる所には、鏑矢塚や弓代塚の石碑が建てられています。
車の多い道を避け、民家の裏を通る細い道も含まれます。
コース後半の了意橋には付近の歴史が詳しく書かれた説明石板が設置されています。
約71分 約6.5km
※見物時間、休憩、及び直売所・施設・お店などの時間は含まれておりません。
※坂道の負荷時間は含んでいません。
※1分/80mを基準としています。
約4分 約0.3km
渋川神社は式内社で天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)・饒速日命(にぎはやひのみこと)を祀っています。
この地一帯は、物部氏の住地でこの社は古くは竜華寺の鎮守であったといわれます。
鳥居前の観音堂はむかしの宮寺の一部で、境内にある樹齢1000年という大楠樹は、玉祖神社(神立)善光寺(垣内)のそれとともに大阪府指定の天然記念物です。
約24分 約2.0km
祭神は饒速日命(にぎはやひのみこと)であり、物部一族である阿刀氏との関係がうかがえます。物部守屋の別業があったとされるのは阿都という場所がこの付近かも知れません。また、7世紀に市場として知られる阿斗桑市を当地とする説があります。阿刀氏は山城、摂津にもいたことがわかっており、京都市にも阿刀神社があります。
約6分 約1.3km
椋樹山大聖勝軍寺(りょうじゅさんだいせいしょうぐんじ)と称し、上の太子の叡福寺(太子町)と中の太子の野中寺に対し「下の太子」といわれています。
聖徳太子は物部守屋を滅ぼすにあたり、四天王に祈願、その加護により戦に勝ったので、この寺を建てたといわれています。
本尊は如意輪観音(府重要文化財)で寺宝も多く、門前には、守屋首洗池があります。
約1分 約0.1km
守屋大連(もりやおおむらじ)を葬ったところと伝えられ「河内名所図会」には、塚状の丘の上に一本松のある姿が記されています。
明治のはじめ、堺県知事小河一敏が、ここに守屋顕彰の碑と石灯籠を建てました。
約1分 約0.1km
約3分 約0.3km
約4分 約0.3km
約4分 約0.3km
この付近の川筋は了意川と呼ばれています。安井了意は久宝寺の人で16世紀末に亀井村から大坂まで船を通そうと平野川を広げました。了意の貨物輸送の試みは、営業的には失敗に終わりましたが、志紀郡の代官末吉孫左衛門によって受け継がれ、柏原・大坂間で荷物の輸送が盛んに行われました。
約6分 約0.5km
北木の本と木の本に同名の二社があり、延喜式神名帳には樟本神社三座と記されています。
守屋が聖徳太子の軍を防ぐためこのあたりに「稲城」(いなき)を設けたとき、城中に榎木があったので、これを「榎木城」といい、村の名も「榎木村」といったが、のち「木本」となったと伝えられ、境内には日羅寺があります。
約1分 約0.1km
創建の年代は詳かではありませんが、用明天皇の御代(約1400年前)物部守屋公が本據地である稲村城(現在は稲城と言われる、光蓮寺敷地)の守護神として崇めていた布都大神を奉祀されたものと伝えられています。
約3分 約0.2km
約13分 約1.0km
約52分 約4.4km
※見物時間、休憩、及び直売所・施設・お店などの時間は含まれておりません。
※坂道の負荷時間は含んでいません。
※1分/80mを基準としています。
約4分 約0.3km
渋川神社は式内社で天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)・饒速日命(にぎはやひのみこと)を祀っています。
この地一帯は、物部氏の住地でこの社は古くは竜華寺の鎮守であったといわれます。
鳥居前の観音堂はむかしの宮寺の一部で、境内にある樹齢1000年という大楠樹は、玉祖神社(神立)善光寺(垣内)のそれとともに大阪府指定の天然記念物です。
約12分 約1.0km
守屋大連(もりやおおむらじ)を葬ったところと伝えられ「河内名所図会」には、塚状の丘の上に一本松のある姿が記されています。
明治のはじめ、堺県知事小河一敏が、ここに守屋顕彰の碑と石灯籠を建てました。
約1分 約0.1km
椋樹山大聖勝軍寺(りょうじゅさんだいせいしょうぐんじ)と称し、叡福寺(太子町)に対して「下の太子」といわれています。聖徳太子は物部守屋を滅ぼすにあたり、四天王に祈願、その加護により戦に勝ったので、この寺を建てたといわれています。 本尊は如意輪観音(府重要文化財)で寺宝も多く、門前には、守屋首洗池があります。秋の彼岸シーズンには寺の白い彼岸花も楽しめます。
約1分 約0.3km
約3分 約0.3km
約4分 約0.3km
約4分 約0.3km
平野川の改修工事完成時にこの付近の歴史的出来事をまとめ掲示されました。
他に「物部氏の繁栄」「河内木綿と柏原船」「聖徳太子の活躍」「奈良街道」「大和川の付替えと講念仏踊(こうねんぶつおどり)」のステンレス製説明石柱があり各詳細説明が記載されています
約6分 約0.5km
北木の本と木の本に同名の二社があり、延喜式神名帳には樟本神社三座と記されています。
守屋が聖徳太子の軍を防ぐためこのあたりに「稲城」(いなき)を設けたとき、城中に榎木があったので、これを「榎木城」といい、村の名も「榎木村」といったが、のち「木本」となったと伝えられ、境内には日羅寺があります。
約1分 約0.1km
創建の年代は詳かではないが用明天皇の御代(約1400年前)物部守屋公が本據地である稲村城(現在は稲城と言われる、光蓮寺敷地)の守護神として崇めていた布都大神を奉祀されたものと伝えられています。
約3分 約0.2km
約13分 約1.0km