奈良街道は河内国・大和国境付近にいくつかのルートがありますが、竜田越奈良街道は大和川右岸に沿って現在の国道25号に相当します。
八尾市内の旧街道は、現在の国道25号の北側を通り、跡部や植松の旧家街を少し蛇行しながら東方面に進み、老原で現在の国道25号と合流しています。
飛鳥時代に、難波津(なにわつ)・四天王寺と斑鳩里・法隆寺を結ぶ街道として整備されました。
沿道にある大聖勝軍寺を含め、いずれも聖徳太子にゆかりのある地域と関わりがあります。
聖徳太子自身もこの街道を往復していたといわれる街道です。
約88分
約7.1km
※見物時間、休憩、及び直売所・施設・お店などの時間は含まれておりません。
※坂道の負荷時間は含んでいません。
※1分/80mを基準としています。
約15分
約1.2km
椋樹山大聖勝軍寺(りょうじゅさんだいしょうしょうぐんじ)と称し、叡福寺(太子町)に対して「下の太子」といわれます。
聖徳太子は物部守屋を滅ぼすにあたり、四天王に祈願、その加護により戦に勝ったので、この寺を建てたといわれます。
本尊は如意輪観音(府重要文化財)で寺宝も多く、門前には、守屋首洗池があります。
秋の彼岸シーズンには寺の彼岸花が楽しめます。
約21分
約1.7km
約3分
約0.3km
約1分
約0.1km
渋川神社は式内社で天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)・饒速日命(にぎはやひのみこと)を祀っています。
この地一帯は、物部氏の住地でこの社は古くは竜華寺の鎮守であったといわれています。
鳥居前の観音堂はむかしの宮寺の一部で、境内にある樹齢1000年という大楠樹は、玉祖神社(神立)善光寺(垣内)のそれとともに大阪府指定の天然記念物です。
約2分
約0.1km
約21分
約1.7km
約18分
約1.5km
約0分
約0.0km
約3分
約0.2km
宝永元年(1704)の大和川の付替えで、旧大和川流域の灌漑(かんがい)用水が乏しくなったため、流域の村々は新大和川から井路川へ水をひくことを請願しましたが、許可される前に大旱魃(だいかんばつ)にあい農民は困苦にあえいでいました。
このため弓削村の庄屋西村市郎右衛門は、幕府の許可を待たずに二つの樋を開いて農民を救いましたが、捕えられ大阪城中で客死、家財没収一家は断絶となりました。
約4分
約0.3km